大久野島から平和と環境を考える会 ホームページ

                 歴史の闇に消されようとした毒ガスの歴史を伝えるために

                        毒ガス島その被害と加害の歴史を探る〜           

最終更新日 2018/03/30       

開設年月日 2002/01/06

 大久野島(毒ガス島・地図から消された島)の資料を掲載しています。

 第二次世界大戦中、日本が毒ガスを使用したことを知っていますか。 日本陸軍は大久野島で1929年から1944年まで

15年間、毒ガスを製造し、侵略戦争で使用し、たくさんの外国人を死傷させました。

毒ガス兵器は、1919年のベルサイユ条約、1925年のジュネーブ協定などで、使用禁止を約束した兵器でした。

日本は大久野島で秘かに毒ガスを製造し国際条約に違反して戦争で使用しました。特に中国で、大量に使用し、

多くの中国人を死傷させました。  この国際条約違反の戦争犯罪は、本来なら、東京裁判で裁かれなければならないのに、

アメリカの意向により、訴状にのせられず、歴史の闇に葬られました。

日本軍の毒ガス犯罪は日本政府によって、 国民に知らされることなく現在にいたっています。

 しかも、敗戦時、日本軍が、 証拠隠滅のために、中国に捨てて帰った大量の遺棄毒ガスが、現在でも

平和に暮らしている中国の人たちを死傷させています。

戦争は被害だけではありません。日本が行った加害の歴史も学ばなければ、戦争の悲惨さ、愚かさを知ることはできません。

歴史の闇に葬られてきた、日本の戦争加害の歴史を学びに 大久野島に来てください。

 

目次

NEW2015年以後の活動内容 現在取り組んでいること)

EW平和の旅 2016年10月朝鮮民主主義人民共和国訪問

 2014年までの活動動内容の紹介 

平和学習の旅紹介 

大久野島毒ガス関係学習資料を掲載しています。

      ↓

@大久野島の現存す戦争遺跡

A大久野島関係資料(大久野島の歌/概要/年表/地図/関連資料  )

B大久野島の戦争遺跡の案内

C大久野島関係の証言

D大久野島の歴史と環境問題関係資料

E大久野島に関する研究(教材化・その他)

F大久野島関係の書籍紹介

G侵略戦争関係の証言

H中国との交流(遺棄毒ガス問題) 

I平和と環境を考える活動

 

 平和学習のサポート(お手伝い)をします。戦争遺跡を案内したり、大久野島の毒ガスの歴史の講話を行います。ご希望の学校・団体は電話にてご相談ください。0846−29−1206(山内)            

       

       毒ガス資料館での講話          大久野島第二桟橋待合室前での講話         アメリカからの留学生の案内

 大久野島での平和学習のサポート(遺跡案内や講話 )を希望される学校や団体は電話にて、ご連絡ください。

  連絡先:TEL:0846−29−1206 (山内) ・・・大久野島から平和と環境を考える会・ 毒ガス島歴史研究所事務局

 

◎注意(観光ガイドではありません ので、観光会社や旅行社からの相談・依頼は受け付けていません。)

     修学旅行などで、大久野島の平和学習のサポートをご希望の団体・学校は直接お申し込みください。)

条件

  ☆大久野島の毒ガスによる戦争加害・被害の歴史 の学習を目的とする団体

  10名以上の団体を対象とします。

     (少人数の場合は他の団体と日程が同じなら、合流して学習することも可能ですのでご相談ください。 )

  ☆戦争遺跡フィールドワークの所要時間(約2時間〜4時間)島内一周の学習には3時間以上必要です。      

      毒ガス資料館での学習も含む。 約2km徒歩移動しながらの学習になります。

  ☆講演(講話)・所用時間約60分(大久野島の毒ガス加害・被害の歴史について話します。 スライドも利用します。)

      団体の方で講演の場所として、休暇村の部屋を事前に借りておいてもらうようになります。

      休暇村大久野島連絡先(0846−26−0321)    

 

    

毒ガス貯蔵庫跡など遺跡の案内    外国からの団体も通訳がいれば案内します。 写真を見せながらの説明

    

明治時代の砲台跡と毒ガス遺跡の案内    大久野島毒ガス傷害者の慰霊碑前での説明   室内での大久野島の毒ガスの歴史の講話

                 

     

 遺跡の説明、大久野島の毒ガスの歴史、中国の毒ガス被害者との交流などを掲載した

大久野島の毒ガスの 問題を学習するためのガイドブックです。大久野島毒ガス資料館でも購入できますが

事前に手に入れたいに方は頒布価格800円+送料 で頒布しています。ご希望の方は下記の連絡先に、電話にて ご連絡ください。

連絡先(山内)TEL:0846−29−1206                

                                
                                                                                                                                                                                         

                                      

                      

                                                        

                                                        

 

                                                       

                                                        

                                                                           

 

 

 大久野島はどこにあるの?(広島県竹原市忠海町)

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駅から徒歩7分で忠海港。港から客船で約12分で大久野島     

 

世界でただ一つの毒ガスの資料館もあります。     平和学習 の案内。 (北部砲台遺跡)   戦争中 大久野島は地図から消されていました。(上段)

大久野島毒ガス資料館(竹原市が管理)                                「地図から消された島」武田英子著より

(お問い合わせは:TEL0846−26−3036)                                           

 開館時間9:00〜16:00 (年末・年始は休館)

大久野島の毒ガスの歴史 を知っていますか?  概略を説明します。 

T:第二次世界大戦中、大久野島では何が行われていたのですか。

 広島県竹原市忠海町にある大久野島はかって 日本陸軍が毒ガスを大量に製造する陸軍の毒ガス工場がありました。

 毒ガスの製造は極秘に行われ、国民には知らされませんでした。毒ガス製造の秘密を守るため、従業員の島での行動は

憲兵によって、厳しく監視され、地域の人たちの生活も秘密の厳守ため、憲兵が目を光らせていました。

そして、大久野島は秘密厳守のため、戦争中、地図からも消されていたのです・                                                                          

  毒ガスの製造のため多くの国民が強制的に毒ガス工場へ強制的に動員され、毒ガス傷害を受けました。

工場へは13歳〜15歳の子どもたちも動員されました。戦傷中、大久野島へ働きに行った人はほとんどが毒ガス傷害を受け

多くの人が毒ガス傷害で死亡し、毒ガス傷害者は、戦後もずっと、毒ガスの後遺症に苦しめられ続けています。

    

            長浦工場群(イペリット生産工場)              北部の工場群          学徒動員で働かされた女学生の毒ガス缶運び

  

 三軒屋 工場群 (ルイサイト生産工場 )  毒ガスマスクに身を包んだ作業員   海から見たイペリット製造工場(1945年撮影)

 今は上の写真の工場はありません。しかし、写真で戦争中の毒ガス工場の姿を見ることができます。

 

U:日本は本当に毒ガスを戦争で使用したのですか。

  当時、ベルサイユ条約(1918年)やジュネーブ議定書(1925年)で、世界の各国が、無差別に人間を殺戮する毒ガスは

  あまりにも悲惨なので、使用を禁止していた兵器でした。にもかかわらず、日本は国際条約に違反し、第二次世界大戦で使用しました。

  特に、中国でたくさん使用し、たくさんの人民を毒ガスで殺傷しました。使用した毒ガスは、ほとんどが大久野で製造された

  ものでした。大久野島は悲惨な毒ガスを製造し、戦場へ送り出した戦争加害の歴史を持つ島です。

  

       

写真は中国で毒ガス戦をしている日本軍。 毒ガスによって多くの中国人民を殺傷しました。       

 

V、毒ガス使用の影響は今でも残っているのですか。

 いまなお、敗戦時、日本軍が証拠隠滅で中国に捨てて帰った遺棄毒ガスによっ て被害が出ています。日本軍の遺棄した毒ガス

によって被害を受けた 中国の被害者が たくさん、現在も、たくさん健康被害や、毒ガス傷害の後遺症で苦しんでいます。

中国の遺棄毒ガス被害者は 日本政府に責任を認め、補償するよう裁判で闘っています。

中国には 現在でも、多くの日本軍の遺棄毒ガスが埋もれたままになっています。日本と中国が協力して、見つかった遺棄毒ガスは

処理されていますが、まだまだ、かなりの日本軍の遺棄毒ガスが中国の 大地に残されたままになっています。

日本は 化学兵器禁止条約に基づき中国に遺棄してきた毒ガスは 処理する義務があります。  

また、戦後、日本国内にもたくさんの毒ガスが遺棄されました。それらのたくさんの遺棄毒ガスが 日本国内でも被害を出しています。

大久野島の毒ガス問題は過去のことではないのです。

 

W: 大久野島に残されていた毒ガスは戦後どのように処理されたのですか。

 日本が敗戦した時、大久野島には、かなりの量の毒ガス剤が残っていました。さんらに、広島県内のあちこちに毒ガス弾が保管されて

いました。これらの毒ガス剤や毒ガス兵器は大久野島に集めて、処理されました。(戦後処理と呼びます。)

戦後処理は三つの方法で行われました。 イペリットなどの猛毒剤は米軍の艦船(LST)に積み込み艦船ごと高知県の土佐沖に沈められました。

現在も海底に埋もれています。(海洋投棄)、また、島内で発煙筒などは焼却処理されました。(焼却)そして、くしゃみ性毒ガスなど一部が

投なの防空壕に埋設されました。(島内埋設)残っていた工場も除毒のため焼却され、その後、解体されました。

大久野島には今でも 赤筒(毒ガスの一種)が 島内の防空壕内に埋設されたままになって います。

環境省が環境保全に努めているので、 観光客に危険はありませんが、課題は残っています。

大久野島の毒ガスの歴史はまだ終わっていないのです。

        

  戦後処理の様子           海洋投棄に使われた艦船      残っていた莫大な毒ガスを処理する作業員

 

大久野島は三度も戦争に利用された悲惨な歴史を持つ島です。

大久野島は日露戦争時代は芸予要塞が置かれ、第二次世界大戦中は毒ガス工場が置かれ。1951年からの朝鮮戦争では

アメリカ軍が島を弾薬置き場として利用しました。このように三度も戦争に利用された島はあまりありません。

現在、大久野島には30を超える戦争遺跡が遺されており、それらの遺跡を見学しながら平和学習ができる島になっています。

戦争による被害歴史だけでなく、日本が行った加害の歴史についても学ぶことによって、いかに戦争が愚かなことで、悲惨であるかを

考えさせてくれます。

大久野島にぜひ平和学習に来てください。

 

             

現在も残る遺跡(長浦貯蔵庫跡)   大久野島活性化協議会発行のガイドマップ              兎もたくさんいます。

       

    大久野島から平和と環境を考える会

      2006年4月19日設立

   連絡先 広島県竹原市東野町983-5                                                 

   TEL&FAX 0846−29−1206

   事務局のメールアドレス( a9441030@bronze.ocn.ne.jp)

   遺跡案内や講話のお申し込みは電話でお願いします。

    

  代表 山内正之                    事務局長 山内静代                               

                     

毒ガス島歴史研究所事務局長(正之)      毒ガス島歴史研究所 代表(静代)も兼任しています。