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現在の 活動内容の一部を紹介します。 ☆2025年4月 中国河北省北坦村へ謝罪の旅 2025年4月2日〜4月6日に東京の三光作戦調査会が主催した「北担村教育交流坊中団」に 参加し謝罪と友好交流の旅に 行ってきました。河北省北担村は1942年5月27日〜28日に日本陸軍が国際条約に違反し、大久野島で製造した毒ガスを使用して 1000人以上の中国人民を虐殺した村です。虐殺された中には民兵もいましたが大部分は一般村民でした。この地域は平原地帯で 隠れる場所がなく、日本軍の攻撃を避けるため住民が地下道に避難しているところに毒ガスを投げ込み虐殺したのです。 2005年には私達、毒ガス島歴史研究所もこの村に、大久野島で毒ガスを製造した藤本安馬さんとともに謝罪に行ったことがあります。 私自身は15年ぶり、5回目の訪問でしたが、毒ガス被害を受けた体験者の多くが無くなられ、顔見知りの幸存者(毒ガス攻撃を受けながらも 生存されている方は、今回お一人しか会うことができませんでした。多くの方が亡くなられたようでした。今回、お会いした幸存者は李欣友さんという方ですが、 李欣友さんの話が私の心に響きました。李欣友さんは「日本軍が毒ガスによって北担村の村民を虐殺したことは忘れることはできない。 しかし、皆さんのように国境を越えた中日友好交流は大切です。私も日本に行ったことがありますが日本の皆さんは大変親切でした。」 と話されました。 「前事不忘 后事之師」歴史から学び、未来に生かすことは大切です。同時に国境を越えた交流による信頼関係の育成も大切だと思いました。 私が河北省北担村を訪問するきっかけは1998年5月広島県三原市の市民館で行われた証言集会で、北担村の毒ガス被害者の李徳祥さんの証言を聞いてからでした。 是非、現地に行ってみたい 。攻撃から逃れるため地下に避難している村民に対、日本軍が国際条約に違反して大久野島で製造した毒ガスを 地下道に投げ込み住民を大量虐殺したことを初めて知り、現地でその事実を学びたいと思ったからでした。 その夏の8月に北担村を訪問し地下道も案内してもらいました。北担村の毒ガス被害者の李徳祥さんを日本に招いて、日本全国10か所ぐらいで証言集会を開いて 日本国民に侵略戦争の残虐さ悲惨さを学ぶ証言ツアーを企画したのが「三光作戦調査会」でした。 三光作戦調査会は2000年頃から毎年「北担村教育交流訪問団」を組織し、4月2日〜6日の清明節の時に訪問し、毒ガス犠牲者の眠る霊園の中で行われる 地元主催の教育集会に参加しています。コロナで訪問を断念した時期を除いて今回が20回目の訪問でした。 毒ガス島歴史研究所も2010年4月に霊園内での教育集会で多くの子ども達や村民の前で「大久野の毒ガス被害・加害について」話をさせてもらっています。 日本の敗戦、80年を迎える今年、改めて戦争の被害・加害両面から戦争の悲惨さを学び、日本国憲法を守り、世界平和を実現していかなくてはならない という決意をした今回の旅でした。私は1983年に初めて中国を訪問し、今回が16回目の中国訪問でした。町も村も大きく変化する中国を見てきましたが、 隣国の中国と日本の政治的関係はまだまだです。私は日本の政治の在り方に課題があると思っていますが、も国境を越えた国民どうしの交流は大切です。 これからも続けていきたいと思います。
☆2025年 2月17日 大久野島のウサギの歴史とウサギの幸せ 「大久野島でたくさんのウサが死んでいるのが見つかり、兎を蹴飛ばしいて死に至らせた犯人が逮捕された。」という 新聞・テレビの報道があ、話題になりました。 私が大久野島に詳しい人から聞いた限りでは大久野島にはもともとウサギはいませんでした。戦争中に、大久野島でウサギが 毒ガス実験用に使用されたという悲惨な歴史があります。戦争中、大久野島で飼っていた用のウサギたちが檻に入れられ飼育され 折か出る時は実験に使われ、命を落としました。 敗戦時、実験用に飼っていたウサギは全て処分されました。現在のウサギは 大久野島に国民休暇村がオープンした後の1965年頃、観光用に、休暇村の関係者が忠海町の小学校から5匹もらってきて 飼い始めたのが始まりだそうです。そのウサギはペット用にヨーロッパから輸入された品種で、元々、日本にいたウサギではありません。 ヨーロッパアナウサギを家畜化した「カイウサギ」で繁殖力が強く、世界的にもあちこちで増えすぎて困っているウサギです。 繁殖力が強く、1年に5回も6回もお産し、多産によって子孫を残そうとします。そのため、餌をやればやるほど多産します。 小さな大久野島にウサギが異常繁殖しているのは島を訪れる人が餌を与えすぎるのが原因です。 大久野島のように小さな島ではで兎たちが幸せに 暮らすにはウサギの数は300匹くらいまでと聞きいたことがあります。 ウサギとの自然なふれあい良いですが、ウサギの数が増えないように餌り控えたいですね。 ↓ 朝日新聞 2025年1月24日(金)版 ↓ 読売新聞 2025年2月17日(月)版
☆2024年11月29日(金) 立教大学ズーム講義(社会環境論) 11月29日(金) 今日は立教大学の「環境社会論の講座」でゲストスピーカーとして 100分の講義時間をいただきズーム講義をさせてもらいました。 パワーポイントを使って60分講義をし、あとは学生からの質問に答える形式で行いました。 質問も多く出て、私としては嬉しくて、手ごたえのある講義になり、喜んでいます。 大学生相手のズーム講義は4回目ですが、今回の講義時間が一番長かったので、 学生の質問にもしっかり答えることができて、良かったです。 このような機会を与えてくださった大学の先生に感謝するとともに、 大久野島についての歴史と環境問題についての講義を聞いてくださった 学生の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。 今日の講義を聞いてしっかり平和・環境問題について考えていただければ幸いです。
☆2024年11月28日(木)大久野島平和学習の案内をしました。山口県曹洞宗 11月28日は大久野島に行きました。案内は午後からだったので、午前中は前から気になっていた遺跡の掃除をしました。 最初は米軍が朝鮮戦争の時利用した建物、MAG6Bと黄色で描いてある建物、 次に研究室の裏、その次に毒ガス工場時代のトイレがずいぶん荒らされていたので 周りを片付けて綺麗にしました。毒ガス工場時代のトイレは見学する人も多いので前から気になっていました。 午後の案内は曹洞宗山口県宗務所の皆さん19名を案内しました。 今日の大久野島は風が強く吹いて、寒くて、大変でした。それでも皆さん島内を一周して学習されました。 大久野島毒ガス障害者慰霊碑の前で、皆さんで丁寧にお経をあげられました。 ☆2024年2月11日(日)大分市で講演しました。 日教組九州地区協議会主催の「平和教育研究集会」で講演をさせていただきました。 「大久野島の戦争被害・加害の歴史と今日的課題」という演題で話しました。 大久野島の毒ガス被害と加害の歴史的事実を改めてふり返ってもらうとともに 日本の敗戦後78年経過した現在でも多くの課題があることを話させていただきました。
☆2024年1月7日(日)岩手県教職員組合の先生を案内しました。 遠く、盛岡から小学校・中学校の先生たちが大久野島平和学習に来ました。 青年部の若い先生たちで熱心に学習して帰られました。 前日は広島で被爆者の証言と案内者によって原爆被害について学習されたそうです。 しかし、戦争は被害だけではない、加害も学習して、子どもたちに戦争の真実を伝えたいと 岩手県教職員組合は約25年以上前から大久野島に平和学習に来ています。 コロナで4年間来れませんでしたが、今年、再会したそうです。 昨年の12月23日に岩手県高教組に呼ばれ盛岡で講演させてもらい、今回は岩手県教組が盛岡から来られ 大久野島を案内しました。本当に嬉しく有難いです。
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