NEW 大久野島の毒ガスの歴史の概要(その被害と加害)

はじめに

現在、大久野島は自然の中で自由に生活している兎と触れ合うことのできる島として、多くの観光客でにぎわっています。

しかし、初めて島を訪れる人の多くは、この島で第二次世界大戦中、毒ガスが製造され、戦争で使用されたという事実を知らない人が多い。

大久野島毒ガス資料館を見学、島内に散在する戦争遺跡を訪れ、説明板を読んで初めて、そのような戦争の歴史があったことを知ることになる。

また兎と触れ合うために訪れた人たちも、この島で毒ガスを製造していた時代、この島では兎がたくさん飼育され

毒ガスの効力を確かめるための動物実験として使用され多くの兎たちの命が奪われた悲しい歴史を知らない人が多い。現在の兎たちは戦争中、     

 実験用に飼われていた兎の子孫ではないけれど、自分たちと同じ兎がたくさん毒ガス実験に利用され残酷な方法で命を奪われたことを知って欲しい、

 大久野島の兎たちは訪れた人たちに、その隠された悲惨な戦争の歴史を学ぶきっかけを作っているとも言えます。

大久野島は周囲約4qの島です。瀬戸内海国立公園のほぼ中央に位置し、自然に恵まれたきれいな島です。

 

 

 

 

 

     瀬戸内海国立公園大久野島    大久野島の位置             ウサギと休暇村大久野島ホテル

しかし、この島は日本陸軍が1929年から15年間毒ガスを製造し、その毒ガスで多くの外国人を殺傷した加害の歴史を持つ島です。

当時、毒ガスは国際条約で使用が禁止されていました。にもかかわらず、日本は秘かにこの島で毒ガスを製造し、

国際条約に違反して戦争で使用し外国人、特に中国人を多く殺傷しました。

大久野島界大戦中日本の毒ガス加害の重要な役割を果たした島です。

ご存じのように世界最初の原子爆 弾が広島に投下され、一瞬のうちに多くの広島市民の尊い命が奪われました。

原爆被害者は戦後もずっと被爆による後遺症で苦しめられ命を失っています。

この原爆被害のことは、多くの日本人が知っています。

一方、その原爆被害の地、広島から約80kmしか離れていない、同じ広島県内にある大久野島で日本が毒ガスを製造し、

それを使用して多くの中国人を殺傷した加害の歴史を知る人はあまり多くありません。

それは、なぜでしょうか。その理由の一つは、国際条約違反である日本の毒ガス戦のことが、

日本の戦争責任を裁いた1946年の極東軍事裁判(東京裁判)ではアメリカの意向で裁判にかけられず、

闇に葬られたことにあります。さらに日本政府も戦後、戦争中の毒ガス使用の事実を公表せず、

その責任を取ろうとしなかったことにあります。

しかし、主たる要因は日本国民自身にあると言えます。

敗戦後、悲惨な戦争を体験した日本国民は戦争へ嫌悪感などで、戦争に反対し、平和教育の必要性を叫ぶようにはなりました。

しかし、それはもっぱら、自分たちが受けた戦争被害を振り返るばかりで、自分たちの戦争加害の事実に真摯に向き合ってこなかったのではないでしょうか。

被害の視点からしか日本が行った侵略戦争を振り返っておらず、きちっとした戦争加害の反省が行われていないのです。

敗戦後作られた日本国内のほとんどの戦争と平和に関する資料館には自分たちが受けた戦争被害の資料は展示しています。

しかし、日本が侵略戦争を始めた歴史的経過や日本が犯した残虐な戦争加害の資料はほとんど展示していません。

子どもたちが学校で使用する教科書にも日本が受けた原爆被害や空襲による被害のことは掲載されていますが、

日本の戦争加害のことはほとんど掲載されていません。このことは日本国民が日本の侵略戦争による加害の歴史から

学ぶことがほとんどなく、反省も十分でなされていない要因となっています。

ドイツでは政府が自分たちの犯した戦争加害の罪を忘れないように、強制収容所施設を保存し、

ナチスドイツに殺害されたユダヤ人やヨロッパ人の記念碑を誰の目にも触れる場所に作っています。

教科書にもドイツが行った加害の歴史は大きく掲載され、子どもたちも教科書を通じて学び、

国を挙げて反省の意思と行動を世界に示しています。

残念ながら日本では政府が自分たちの戦争加害を戒めるような記念碑や資料館はほとんど作っていません。

戦争は人間と人間の殺し合いです。日本が戦争すれば、日本国民が殺されるだけでなく、

日本国民が他国の人間を殺すことだというとことを子どもたちは学ぶ必要があります。

しかし、日本の子どもたちには戦争加害の事実を学ぶ権利が十分保障されていない現状があります。

ドイツの大統領ヴァイツゼッカーは演説で「非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

と述べています。日本国民は過去に日本の犯した罪に対して責任を負っているのであり

そこから目を背けることは、また過ちを繰り返すことにつながります。

私たちが戦争の悲惨さや愚かさを学ぶ時、自分たちの受けた戦争被害のことばかり学び、

自分たちが犯した戦争加害のことを学ばなければ、それは大変な誤りを犯すことになります。

日本の犯した戦争加害の罪を自覚し、反省し、その上に立って「核兵器廃絶」を訴えてこそ、

ヒロシマ・ナガサキの心が世界の人々の心に届くのではないでしょうか。大久野島はそのための貴重な学習の場だと思います。

 大久野島は毒ガス製造に従事させられた多くの日本人が毒ガス傷害を受け、死亡した戦争被害の島であるとともに、  

 製造した毒ガスが日本の侵略戦争で使用され、多くの外国人を殺傷した戦争加害の歴史を持つ島でもあります。

 島内に残る戦争遺跡を訪ねながら戦争被害・加害の歴史を学んでください。

 大久野島は三度にわたって戦争に利用された島です。島内には、いたる所に戦争遺跡が残されています。

 島全体が平和資料館と言っても良いと思います。

 日露戦争時代、第二次世界大戦時代、朝鮮戦争時代、大久野島は戦争遂行の役割を担わされました。

 そして、多くの尊い命を失わせる悲惨な歴史を生み出す原因となりました。

 大久野島の豊かな自然を楽しみながら、戦争遺跡を回り、遺跡が語る悲惨な戦争の歴史から学び、

 二度と戦争を起こさない決意を固めてください。

                    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

     現代の大久野島案内図      戦争中(1944年)の大久野島の地図

 

 

 

少しづつ原稿を追加していきます。