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☆2023年6月 ドイツのベルリンでホロコーストの学習をしました。 2023年6月27日、ドイツのベルリンにホロコーストの学習に行ってきました。第2次世界大戦が終わって70年以上も経過した今でも ホロコーストを忘れないための記念碑や資料館の整備が進められている。
ドイツに行って学びたいと以前から思っていたことが今回、実現できました。 組織的な虐殺行為を行いユダヤ人をはじめ600万人以上が毒ガスなどで虐殺された 悲惨な戦争の歴史です。
連絡を採ったら6月26日にホテルまで会いに来てくれたました。すでに夜の9時を過ぎていたがベルリンの夜は明るい。 早速、ブランデンブルグ門とその近くにある。「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」に連れて行ってくれた 。1万9073uの敷地にグリッド状に並ぶコンクリート製の石碑2,711基が並んでいた。数百万人ものユダヤ人犠牲者の墓地だ。 周辺部の石碑は背が低く、中央に行くほど高くなっていた。一番高いものは5mあるそうだ。 ☆2022年7月25日 中国新聞メディアセンターのジュニアライター(中学生・高校生の記者)が 大久野島の毒ガスの歴史の学習に来ました。 私が案内させてもらいました。皆さん熱心にメモを 取りながら学習されました。 8月15日に記事を掲載されるとのこと楽しみです。
☆2022年4月10日 原爆ドーム前で行われた戦争反対の集会に参加しました。 被爆地広島から戦争反対と核兵器使用反対の声を上げました!
☆2022年 3月 7日 戦争反対 竹原市民平和集会開催 戦争反対! プーチン大統領の侵略戦争反対 ! 広島県竹原市民集会開催 !
☆戦争反対!プーチン大統領は侵略をやめろ!! 戦争は自衛のためにという大嘘から始められることは歴史が証明している。 日本の軍部もドイツのヒットラーも自衛の名のもとに戦争を開始、何千万人もの尊い人命を奪った。 過ちを2度と繰り返させてはいけない。ひとりひとりが戦争反対の声を上げましょう。
☆2022年2月24日 ロシアのプーチン大統領が侵略戦争を始めた。 戦争という人殺しは何時も、「自衛」の名のもとに行われる。 日本もかって同じことをやった。
≪日本の中国侵略戦争を伝える1932年の新聞報道≫
☆大学生の平和学習 2021年11月 4日 大久野島(毒ガス製造の島)の歴史を学ぶ 大学生と先生 20人を 案内させてもらいました。 マスコミも 取材に来ました。次のアドレスでyhooニュースの 取材映像を見ることができます。 https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/withnews.html ↑ ↑ ↑ ↑↑ここをクリックして動画を見てください・
戦争遺跡前で説明 大久野島毒ガス資料館で話しています。 ☆2021年11月 中学校で大久野島の毒ガスの歴史の講演をしました。· 広島の中学校で大久野島の毒ガスの歴史に浮いて講演させていただきました。 大きなホールでの講演でしたが皆さん熱心に聞いてくれました。講演後 質問も出ました。1週間後に、大久野島の現地へ行って学習するための 事前学習でした。原爆被害の歴史とともに大久野島の毒ガス加害の歴史も しっかり学んで欲しいと思います。
☆大久野島を取材した本が出版されました。2021年9月28日 本の中で紹介されている私のイラストです。読み易い本です。 機会があれば ぜひ読んでください。
☆ベトナム実習生徒との別れ。2021年4月〜7月 実習期間が終わり、別れの挨拶に来てくれました。 交流していたベトナム実習生がベトナムへ帰国しました。 竹原市内の企業を退職し、厳しいコロナ規制のなかでの帰国でした。 他の日本企業へ移り、日本に残る実習生もいました。 帰国のための費用やコロナ対策で大変だそうです。 帰国の費用はほとんどが自己負担なので大変だと話していました。 日本の政府や企業がしっかり補償すべきです。
☆「大久野島の歴史」の講演 2021年6月 校舎内から大久野島の見える学校で講演しました。 大久野島の歴史の概略を話をしました。 さすが地元の学校の生徒でした。 講演の後、質問も出ました。
☆愛媛県小島(芸予要塞)散策 2021年7月 日露戦争の時、大久野島の砲台と合わせて芸予要塞として 軍都広島と軍港呉を守り、外国艦隊の瀬戸内海の航行を阻止するために 造られた小島を約14年ぶりに訪れました。今回が3度目の訪問です。 コロナのために訪問客が少ないせいか、思ったより遺跡周辺が荒れていました。 少し紹介します。 @ 28cm榴弾砲レプリカ ( 2013年4月15日)
2013年
4月12日、小島で28センチ榴弾砲のレプリカ設置の記念式典が行われました。 B 火力発電所跡
発電所跡である。建物の前には「防火水槽」の木標があった。発電所は煉瓦造りの平屋建て。。
「弾薬庫跡」説明板。 現在は屋根が落ちて煉瓦作りの側面が残るだけでありますが、弾薬という一番大事なしかも危険度の高い軍用品を貯蔵するために 非常に厳重な工事と完璧な設計が施されていることがわかります
☆「IOC バッハ会長の広島被爆地の利用に抗議する。」デモに参加しました。 2021年7月 2020東京オリンピックは中止し、コロナで苦しみ死亡する世界の人たちを救え!!!
☆ 産業廃棄物最終処分場建設反対運動は行政訴訟裁判へ。2020年6月15日 産業廃棄物最終処分場建設中止と操業差し止めを求める訴訟と合わせて提訴しました。 広島県内には自然を破壊する危険な産業廃棄物最終処分場が全国で3番目に多く建設されています。 何故、遠くの県からわざわざ東京の産廃業者が広島県内にゴミを持ち込もうとするのでしょう。 広島県は産業廃棄物最終処分場の建設基準がゆるく、広島県独自の規制条例もないため建設が容易で 危険なゴミも持ち込みやすいからです。 広島県の建設許可の問題点やその責任を明らかにし、広島県民の生活するきれいな自然環境を 守るよう、広島県に求めていきます。
裁判所に向けて反対を訴え行進 裁判所前での集会 マスコミも多数来ていました。
裁判所に 原告と弁護団が提訴後、広島弁護士会館での報告集会 ☆新聞社の取材収財協力で約2か月ぶりに大久野島に行きました。2020年7月1日 コロナの影響か忠海発10時25分の船で行きましたが乗客は全員で7人でした。
船内はビニールシートで座席が隔離されコロナ対策が行われていました。 ホテルのフロントもビニールシートで隔離されていました。
送迎バスが新しくなり少し大きなバスになっていました。今回の取材ではドローンを飛ばして 大久野島の戦争遺跡を紹介するそうです。完成した記事が楽しみです。 ☆ 産業廃棄物最終処分場建設反対運動は裁判へ。2020年6月8日 建設の中止を求めて告訴しました。
☆ 産業廃棄物最終処分場建設反対運動。2020年5月 問題だらけの安定型産業廃棄物最終処分場建設に断固反対しています。 東京の産業廃棄物処理業者(JAB協同組合)が 産業廃棄物最終処分場建設を計画しているの対し 広島県が設置許可しました。 三原・竹原の地域住民が4万人を超える設置反対署名を広島県に提出し、 設置計画書の縦覧に際しても、地域住民が500を超える設置反対の意見書を出しているにもかかわらず、 それには一切返答しないで許可を出すという暴挙を行いました。 広島県の産業廃棄物処分場設置基準は住民無視の設置業者にとっては都合の良いものになっています。 そこに目を付けた東京の産業廃棄物処理業者(JAB協同組合)が県外のゴミを持ち込もうとしています。 放射性廃棄物などのゴミも持ち込まれる可能性もあります。 これからも闘いは続きます。ご支援よろしくお願いします。
☆大久野島の重要な遺跡保存を願う。 2020年3月 2018年の豪雨で崖崩れががおこり、大切な遺跡がこわれました。 日露戦争・毒ガス工場時代・朝鮮戦争と3回にわたって使用された 火薬庫で大久野島の貴重な遺跡です。 現在、環境省国立公園課に保存をお願いしているところです。 復元は難しいですが、そのままの姿でも保存して欲しいです。 2018年6月の豪雨で被害を受けた大久野島の戦争遺跡(火薬庫跡) 2020年3月撮影
☆「大久野島の歴史展」を開催しました。2020年1月4日〜9日 被爆建物(旧日本銀行広島支店跡)で開催しました。 多くの人が参観に来てくださいました。 「もう一つのヒロシマの歴史」として被爆地広島で行い大久野島の毒ガスの歴史を思い起こしていただき 戦争は被害だけでなく加害もあることを考えていただくことができました。
☆東京で「大久野島と毒ガス戦」の講演会を行いました。 2019年12月14日 会場「中野ZERO}にて
☆2019年 8月13日 ベトナムから来た実習生との交流 盆踊りを楽しみました。 竹原市内の企業で働くベトナム実習生と地元の竹原市東野町の盆踊り大会に 参加しました。皆さん、日本の浴衣(ゆかた)を着て大喜びされました。
☆ 南京大虐殺紀念館訪問 2019年5月5日〜9日 南京大虐殺紀念館による口述史作成の協力のために南京に行ってきました。
南京大虐殺紀念館入口の彫刻 南京大虐殺で日本軍に殺害された虐殺現場の慰霊碑にお参り。
口述史作成で話す。 南京大橋にて
☆核兵器反対座り込みに参加 2019年4月26日 広島平和講演慰霊碑前
チェリノブイリデー座り込み 一番右端に座っているのが私 特集記事 に掲載されました。(2018年8月9日〜) 瀬戸内海の「毒ガス島」は 今、〜加害の歴史を語り継ぐ人々〜 YAHOOニュースで紹介されました。
☆大久野島の重要な遺跡保存を願う。 2020年3月 2018年の豪雨で崖崩れががおこり、大切な遺跡がこわれました。 日露戦争・毒ガス工場時代・朝鮮戦争と3回にわたって使用された 火薬庫で大久野島の貴重な遺跡です。 現在、環境省国立公園課に保存をお願いしているところです。 復元は難しいですが、そのままの姿でも保存して欲しいです。 2018年6月の豪雨で被害を受けた火薬庫跡 2020年3月撮影
☆「大久野島の歴史展」を開催しました。2020年1月4日〜9日 被爆建物(旧日本銀行広島支店跡)で開催しました。 多くの人が参観に来てくださいました。 「もう一つのヒロシマの歴史」として被爆地広島で行い大久野島の毒ガスの歴史を思い起こしていただき 戦争は被害だけでなく加害もあることを考えていただくことができました。
☆東京で「大久野島と毒ガス戦」の講演を行いました。 2019年12月14日 会場 東京都中野区 「中野ZERO」にて
☆ 南京大虐殺紀念館を訪問 2019年5月5日〜9日 南京大虐殺紀念館による口述史作成の協力のために南京に行ってきました。 口述史作成の協力の合間に南京大虐殺現場の慰霊碑にお参りしました。
南京大虐殺紀念館入口の彫刻 南京大虐殺で日本軍に殺害された虐殺現場の慰霊碑にお参り。
口述史作成で話す。 南京大橋にて
☆核兵器反対座り込みに参加 2019年4月26日 広島平和講演慰霊碑前
チェリノブイリデー座り込み 一番右端に座っているのが私
☆ 特集記事 に掲載されました。(2018年8月9日〜) 瀬戸内海の「毒ガス島」は 今、〜加害の歴史を語り継ぐ人々〜 YAHOOニュースで紹介されました。
☆福岡市にある、常設の資料展「引き揚げ港博多」を学習に行きました。 2018年 5月 私の家族は1946年10月に満州から博多に引き揚げてきました。 日本政府の誤った侵略政策に騙され、たくさんの国民が悲惨な運命をたどった歴史を忘れてはなりません。 政府はシベリア抑留のことを良く取り上げますが、日本の仕掛けた侵略戦争により 満州で悲惨な目にあった人々のことや満州棄民の政府の責任についてはほとんど 言及ません。私たちはこの歴史を忘れてはなりません。
私も家族と伴に、1946年10月に満州から引き揚げてまいりました。展示された写真は自分の姿と重なりました。
☆ベトナム実習生との交流 2018年1月〜 現在、私の住んでいる町にべトナムから実習生が来て、町内の企業で働いています。 町民との交流やベトナム料理をご馳走してくれた時の様子です。これからも交流を続けます。 3年間の期限で日本に働きに来ています。
☆広島での朝鮮学校への差別反対の集会とデモ行進に参加しました。 2018年5月13日 朝鮮学校だけ就学支援金の対象から外す差別は日本国憲法に定めた教育を受ける権利を奪う 暴挙です。なぜ朝鮮学校の生徒だけ差別するのか。政治問題を子どもの世界に持ち込んではいけません。
☆広島での日本国憲法改悪反対集会とデモ行進に参加しました。 2018年5月3日 戦争は絶対悪です。安倍政権が再び悲惨な戦争をする国に変えようとする 動きを座視できません。皆で憲法改悪反対の声を上げましょう。
☆沖縄辺野古基地建設反対集会に参加しました。2017年11月29日 なかなか現地での反対運動に参加できなかったのですが、 やっと、沖縄に行き、基地建設反対の声を上げてきました。
キャンプシュワブ米軍基地ゲート前 辺野古基地建設反対テント
☆共謀罪法案反対! ヒロシマ行動に参加 2017年 4月8日 ヒロシマ 原爆ドーム前にて 国民の幸せに生きる権利と自由を侵害する共謀罪法案に反対する集会に参加しました。 共謀罪法案はかって国民の良くる権利や自由を奪って戦争に向かって協力させた 治安維持法に匹敵する危険な法案です。「現代の治安維持法」ととも言えるでしょう。 反対の声を上げましょう。
☆滋賀県部落解放県民集会(米原市)で講演しました。 2017年2月9日〜10日
☆中国の南京遺棄毒ガス展のシンポジウムで講演しました。 2016年11月22日〜23日 南京大虐殺紀念館で開催された遺棄毒ガス展のシンポジュウムに大久野島の体験者と私が 招請され、中国の歴史学者と一緒に講演とシンポジュウムを行いました。 講演内容「大久野島の毒ガスの被害と加害」多くの学者や学生が参加してくれました。
☆2回目の朝鮮民主主義人民共和国訪問・・日朝友好交流 2016年10月5日〜12日 日朝友好広島県民の会主催 第5次訪朝の旅に参加し、共和国の国民と交流してきました。
冷麺を有名な玉流館で食べました。 金日成の生家にて 板門店(南北境界線)にて兵士の説明を聞く。
☆南京大虐殺死難者国家公祭式典参加 2015年12月11日〜15日 南京大虐殺紀念館の広場で開催された式典に招待されて参加しました。
☆「戦後70年アウシュビッツを訪ねる旅」に参加しました。 2015年8月12日〜18日 アウシュビッツ強制収容所(ポーランド)とマウトハウゼン強制収容所(オーストリア) を訪問し学習を深めました。アウシュビッツは2度目の訪問でしたが、もっとゆっくり 見学する時間が欲しかったです。
現在のマウトハウゼン強制収容所 ガイドから説明を聞く ナチス時代のマウトハウゼン強制収容所の様子。ナチス隊員と収容された人。
現在のポーランドアウシュビッツ 毒剤を投入した天井の穴と遺体を焼いた焼却炉 ビルケナウ(アウシュビッツ第2収容所 強制収容所内
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