2017年2月13日にこのページを更新しました。

 

2014年 7月 1日 広島の「集団的自衛権の行使」容認反対デモ行進に参加しました

日本国憲法第9条こそ、国民の命、子どもたちの命を守るのです。

日本国憲法を空洞化し、子どもたちを再び戦場へ送ってはなりません。

「集団的自衛権の行使」容認に断固反対します。

過ちは繰り返しませんから、と、平和を誓った原爆ドーム前を出発。

戦争への道を歩まないように、日本国憲法第9条を守ろうと訴えました。!!

これまで、ほとんどの戦争は「自衛のため」「国民を守るため」という名目で行われてきました。

集団的自衛権行使によって、国民の命を守れるでしょうか守れません

68年前、日本が行った戦争で、何人の日本国民の尊い命が失われたか、思い出してください。

父が兄が弟が、赤紙一つで戦場に駆り出され、尊い命を失いました。広島・長崎の原爆で、東京をはじめ、各都市の空襲で、

沖縄戦・・・・などで、たくさんの日本国民の命が失われました。

また、それ以上に、アジア諸国の貴重な財産と多くの尊い人命が失われました。

日本が行った戦争で、日本を含め、アジア諸国の国民 の尊い命が2000万人以上も失われたことを忘れてはなりません。

日本国民を戦争へと導く、「集団的自衛権の行使」容認には断固反対します。

 

2013年2月8日〜11日

第5回日中友好交流黒龍江省の旅

2013年の春節(中国の正月)2月10日、中国の遺棄毒ガス被害者、李国強さん・李臣さんと交流をしました。

初めての冬の哈爾濱訪問でした。マイナス20度以上 の気候を体験しました。松花江は凍結し、凍結した河(松花江)の

上を自動車が走っていました。

哈爾濱駅前の昆倫大酒店ホテルで李国強さん・李臣さんにお会いし、話をしました。

医療支援カンパも渡しました。お二人とも身体の調子はすぐれず、健康の維持に苦労されているようでした。

ダー志剛先生の家庭に招いていただき、中国のお正月を体験させていただきました。感謝、感謝の旅でした。

中国の友達はみな日中の政府間の状況を心配されていました。

ますます、私たち国民どうしの友好交流が大切だと思いました。

    

哈爾濱の氷まつり会場にて      ソフィスカヤ寺院前にて

                                    

李臣・呉鳳琴さんと        李国強・王雅珍さん・ダー志剛先生と

2012年5月30日〜6月8日

ヨーロッパの旅(スイス・ドイツ・フランスを旅しました)

旅の中で、ドイツ。オーストリア・リヒテンシュタイン・スイス・フランスと

5カ国の国境を越えました。パスポ−ト検査もなく、自由に移動できるヨーロッパを旅しながら

何で、のどかで平和なこの地でナチスドイツのユダヤ人虐殺をはじめ、

多くの悲惨な歴史が繰り返されたのだろうか考えさせられました

フランスでベルサイユ宮殿の見学もしました。

第一次世界大戦において毒ガスが大量に使用され、約130万人にも上る毒ガスによる死傷者がでた

反省からベルサイユ条約が結ばれた時、毒ガスの使用禁止も 話し合われました。

写真は、各国の代表者がが集まって会議が行われたベルサイユ宮殿の「鏡の間」です。

1919年ここで平和条約が結ばれ、毒ガスの使用禁止を約束ました。にもかかわらず、

第二次世界大戦中、日本は毒ガスを使用しました。そして、朝鮮戦争ではアメリカが、イラン・イラク戦争で

イラクとイランがベトナム戦争でアメリカが毒ガスを使用し、たくさんの被害者が出ました。

「ノモアひろしま」とともに「ノモア毒ガス」「ノモアおおくのしま」も訴えたいものです。

     

     ベルサイユ宮殿「鏡の間」               1919年ベルサイユ宮殿「鏡の間」での調印式

                               

 

2012年3月2日大阪読売テレビ番組ZIP「なお探」

で大久野島のことが放送されました。

大阪読売テレビ 2012年3月2日関西地方で放送 (山内正之 取材協力)

吉田奈央アナウンサー の番組「なお探」で大久野島のことが取り上げられました。

関西地域だけの放送でしたが,わかりやすく大久野島の毒ガスの悲惨な歴史が紹介されました。

    

  

山内正之が毒ガス工場の遺跡の案内をしました。

 

ハワイの戦争記念館訪問の旅 「2011年12月20日〜25日」

ハワイのアリゾナ記念館を訪問しました。

1941年12月7日(日本時間の12月8日)日本海軍のハワイの真珠湾奇襲攻撃による犠牲者を追悼する

アリゾナ記念館を訪問しました。海の上に作られた記念館の下に沈む戦艦アリゾナ号の中には今でも

1100人以上の遺骨が眠っているそうです。

    

 真珠湾に面した資料館のある海岸に造  アリゾナ号は海底記念墓地となり、その海上に

  られた真珠湾攻撃の説明板。     記念廟が造られている。

アリゾナ記念館にはたくさん たくさんのアメリカ人が訪れていた。

海底に沈んだ戦艦アリゾナからは油が浮き上がっていた。

ワイキキビーチは、たくさんの日本人であふれているのに

アリゾナ記念館では日本人の姿があまり見られませんでした。

 国立太平洋記念墓地(パンチボール)

第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで戦死した

米国の軍人の眠る国立太平洋記念墓地です。

2万人以上の軍人の遺骨が埋設されているそうです。

日系二世部隊の軍人も多く眠っています。

私たちが訪れた時も、新たに、広い墓地が作られていました。

心が痛みました。戦争で命を失うのは国民です。

地球上から戦争がなくなることを願わずにはいられませんでした。

 

 

 最新情報 2010年5月1日 毒ガス島歴史研究所   山内正之

2010年 4月2日〜7日 中国に平和学習の旅に行って来ました。

南京大虐殺紀念館〜北坦村毒ガス惨案紀念館〜北京の中国人民抗日戦争紀念館を訪問しました。

       

南京大虐殺紀念館入り口に並ぶ像。虐殺に苦しむ被害者の姿が彫刻された銅像が並んでいます。

右の写真は虐殺された少年の瞼をそっと閉じる老人をあらわした像。どの銅像も南京大虐殺の悲惨な事実を

伝えています

残念ながら館内は撮影禁止で様子を伝えることができませんが、丁寧に歴史の真実が展示されています。

リニューアルされる前 の資料館も丁寧に展示されていましたが、さらに充実した展示になっていました。

以前からある紀念館と比べて3倍の広さでリニューアルされたそうです。

私がこの紀念館を訪れるのは4度目でしたが、訪問するたびに新しい発見と学習ができました。

参観者も多く、南京市の名所になっているそうです。日本からの修学旅行生も来るそうです。

南京を訪れたらぜひ、記念館に行ってください。

  

 紀念館の庭に造られた平和の公園          朱成山館長にも面会しました。   

 

北坦村の清明節平和集会に参加しました。  

たくさんの子どもたちを前に、

大久野島の毒ガスのことについて話しました。北坦村は日本軍が侵略戦争中

毒ガスで村人約1000人を毒ガスによって虐殺した村です。

かって村人を虐殺した大久野島の毒ガスの歴史の話に

中国の子どもたちは、熱心に耳を傾けてくれました。    

     

    平和集会に参加した子どもたち               近隣の村人や子どもたち約3000人が集まりました。

     

大久野島の毒ガスの歴史の話を写真を見せながらしました。   北坦村の村人(毒ガス被害者)との交流

 

河北省保定では大学生と話し合いました。         中国人民抗日戦争紀念館にて段女士と孟超さんと

 中国人民抗日戦争紀念館では資料の整理のお手伝いをしました。

 

   紀念館が収集された日本兵の資料について説明  最終日、中国社会科学院の歩平先生を訪ねました。   

   歩平先生は日中歴史認識の合同会議の中国側の代表です。

   日中歴史認識の合同会議の話を聞かせていただきました。

      

最新情報  三原東高等学校卒業生の同窓会に出席しました。

2010年1月3日、三原で三原東高等学校1998年卒業の

教え子の同窓会が開かれました。私も招かれ、楽しい一時を過ごしました。

卒業以来(12年ぶり)初めて会う生徒も多く、懐かしく、楽しい再会でした。

 

名前と顔が一致しないので、私はアルバムを持っての参加でした。

アルバムの高校時代の姿 と違い、女性は美しく、男性はたくましく

なった現在の教え子の姿に感動。

どの教え子も、成長している姿を見て、嬉しくなり、

歳 がいもなく、はしゃいでしまいました。

どの子ともゆっくり話がしたかったのですが

時間がなく、残念でした。

また、同総会に出れるように65歳の身体を鍛え、

若さを保ちたいと思います。

 

最新情報  2009年9月27日  毒ガス島歴史研究所   山内正之

2009年9月17日〜24日「朝鮮民主主義人民共和国訪問の旅」

2009年 9月17日から24日まで、「日朝友好広島県民の会」主催の

「朝鮮民主主義人民共和国訪問の旅」に参加し、朝鮮民主主義人民共和国に行ってきました。

日本ではマスコミなどで、色々、悪い情報が流れていますが、

実際に訪問してみると、全く違っていました

素朴で、人々も親切で、少し昔の日本を思い出しました。

隣国が仲良くすることが平和の基盤ですよね。旅の間で共和国の人と何度も話し合ったものです。

朝鮮民主主義人民共和国で訪れた何カ所かを紹介します。

         

金日成主席の生まれた家が万景台にあります。ピョンヤンの中心部から約12kmのところにあります。

農家だったので、日本でもおなじみの農具が展示されています。

たくさんの外国人や共和国の子ども達が見学にきていました。ガイドの説明によると、

金日成主席は14歳の時(1925年)朝鮮の解放を志しこの家を出たとのことです。

   

牡丹峰第一中学校を訪問しました。共和国の学校では午前中は普通科目の授業、

午後は、個人の興味に合わせた課外活動(パソコン・スポーツ・芸能・科学技術・・など)

に分かれて学びます。パソコンと芸能の活動風景です。

   

妙香山普賢寺に行きました。禅宗の寺で1042年に建立された古い寺です。

朝鮮5大寺の一つです。

現在の建物は1765年に改築されたものだそうです。

左の写真は共和国の女性のガイドさんと旅に参加した日本人4人男性の記念写真です。

 

     

板門店(38度線・南北境界線)です。青い建物の後ろのビルが連合国側(米軍)のものです。

米兵が7〜8人警備していましたが、南(韓国側)からの観光客はいませんでした。

朝鮮半島情勢の緊張状況を反映してか,

日数が減ってきているのではないかとのことです。

私は過去二度、韓国側から板門店を訪れたことがありましたが、

今回の共和国側からの訪問の方が自由で、緊張感も無く、写真・ビデオ撮影も自由でした。

           

ピョンヤン空港から飛び立つ飛行機から見た田園     展望台からみたピョンヤン市街

  地下鉄のホーム           観光地の売店         日本でもよく紹介されるアリラン(マスゲーム) 

今回の旅では朝鮮戦争でアメリカ軍が朝鮮人を大虐殺した資料が展示された信川博物館

・アメリカ軍が朝鮮戦争でおこなった毒ガス戦・細菌戦を展示した祖国解放戦争勝利記念館

・植民地時代の苦難と祖国解放への闘いの歴史を展示した朝鮮革命博物館などにも

見学に連れていってもらい学習しました。どこも、

丁寧に学習すれば何時間もかかるところを駆け足での学習になり残念でした。

何時の日か再度、朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、もっと、しっかり勉強したいと思いました。

そして、隣国との友好交流こそ、世界平和の第一歩であることを改めて、実感しました。

共和国は決して閉ざされた国ではありません。機会があればぜひ一度、訪問されることをお勧めします。

 

最新情報  2009年8月31日 毒ガス島歴史研究所 山内正之

2009年8月22日〜27日「中国東北部遺棄毒ガス被害者との交流の旅」に行きました。

 8月22日〜8月27日、「中国東北部・平和と交流の旅」の一員に加えてもらい瀋陽〜ハルピンへ行ってきました。

ハルピンでは遺棄毒ガス被害者の李臣さん、李国強さんにお会いし、交流するとともに、医療支援金を渡してきました。

医療支援金は毒ガス島歴史研究所会員の皆様等からいただいたカンパ金や大久野島の平和学習ガイドで

いただいた謝礼金をあてました。毒ガス治療のための薬代は高価で、経済的に困窮している被害者にとっては

微々たる支援にしかなりませんが、なんとか健康回復して欲しいという私達の願いを届けてきました。

李臣さん、李国強さん、ともに今年の5月26日、日本の最高裁判所から上告を棄却され、敗訴が決まりました。

お二人は、自分達の訴えが正当なものであることを日本の裁判所が裁定してくれるものと信じて

12年あまり裁判で闘ってきました。「裁判に勝って、正義を実現したい。」これがお二人の強い願いでした。

判決理由は、日本軍の遺棄毒ガスによる被害の事実は認めながら、日本政府に責任はない。

従って補償の必要はないという極めて矛盾したものです。裁判は終わりましたが、

日本政府に、被害者への謝罪と補償を求める闘いは続きます。

これからも引き続いて皆さん方の、ご支援、御協力をお願いいたします。

 

 

 

李臣さんに医療支援金を手渡す山内静代 代表   黒竜江省社会科学院の高暁燕先生と

(黒竜江省社会科学院の会議室にて)       笪志先生にお世話になりました。

 

李国強さん・王雅珍さんに医療支援金を渡す   李国強さんは証言をしてくださいました。

山内静代 毒歴研代表(ハルピンのホテルにて) (ホテルの会議室で証言を聞く参加者)

 

最新情報   2009年5月3日   毒ガス島歴史研究所 山内正之

2009年4月「 アウシュビッツ絶滅収容所」に行って来ました。

以前から一度訪れて学習したい場所だったのですが、なかなかチャンスがなく、

今回、やっと実現しました。本や写真集などで見るのと違い、

現場に行って学習することの大切さを改めて実感しました。

アウシュビッツで学んだことを大久野島の平和学習ガイドに生かしたいと思っています。 

アウシュビッツと大久野島、ともに毒ガスによる惨禍があった場所です。

今回、アウシュビッツに行って学習し、大久野島の毒ガスの歴史とアウシュビッツに

いくつかの共通点があることに気付きました。また、まとめて、

毒ガス島歴史研究所の会報に掲載させてもらおうと思っています。 

アウシュビッツ絶滅収容所には、ヨーロッパ各地から送られてきた

ユダヤ人約110万人、ポーランド人15万人、ヨーロッパ各国からのジプシー2万3千人、

ソ連軍捕虜1万5千人、その他の様々な民族数千人が送り込まれ

、約150万人が、ガス室、強制労働、銃殺、絞首刑などによって虐殺されました。

証拠隠滅のため、ナチス・ドイツによって破壊された施設もありますが、

現存する収容所施設はポーランド国立アウシュビッツ・ビルケナウ博物館として保存されています。

   

  二度と悲惨な歴史を繰り返さないために、私たちは何をしなければならないのでしょう。 

    

2009年2月  大久野島を伝えるDVDができました。

 

2008年5月5日  長崎平和学習の旅

久振りに長崎に行ってきました。1996年に新しい長崎原爆資料館がオープンした

前に旧資料館を見ていますが、新しい長崎原爆資料館は初めてでした。

感想は旧資料館のほうが原爆の悲惨な実相を伝える展示ように思った。

広島の原爆資料館も同じだが、どうも、リニューアルされるとやたら綺麗に

網羅的に展示されて、生の悲惨さが伝わってきにくいと感じました。

  

 浦上天主堂の原爆で傷ついた聖像                  新しい長崎原爆資料館前にて

岡 まさはる記念 長崎平和資料館を知っていますか。長崎原爆資料館には残念ながら原爆の被害については

詳しく展示されていますが、日本の侵略戦争の戦争加害の歴史はほとんど展示されていません。

日本の侵略戦争の戦争加害の歴史を展示してあるのが岡 まさはる記念 長崎平和資料館

長崎駅のすぐ近く(長崎12聖人殉教地のすぐ近く)にあります。一度、訪問されることをお勧めします。

 

日本の戦争加害の歴史を伝える展示

 

 

2008年2月28日

日本国憲法9条を守り、平和な世界の実現を訴えながら広島から東京まで歩く

9条ピース・ウオーク が竹原に来ました。

大久野島にも立ち寄り大久野島の戦争加害の歴史を学習しました。

山内正之が案内しました。

 

 

2007年12月13日 南京大虐殺記念館新館開館行事と国際会議出席

南京大虐殺70周年にあたる2007年12月13日

侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館新館の開館式と

侵華日軍南京大屠殺史国際学術研討会議が行われ、私たちも参加しました。

当日の式典には外国からの参列者を含め、8000人が参加し、

南京大虐殺の犠牲者の追悼を行いました。

この日、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館新館に訪れた

南京市民は10万人でした。

   

私たちの広島からは8人が参加しました。   

僧侶・学生などたくさんの南京市民が参加しました。

南京大虐殺紀念館は以前の3倍に拡張され、展示物も大幅に増え、

充実した内容になっていました。

展示場内部の撮影は禁止で紹介できませんが、

ぜひ一度、訪問されることをお勧めします。

   「前事不忘 后事之師

日本人はこの言葉を肝に命じて、

平和な世界を作る義務があると思います。

夜は子ども達の平和集会が行われました。

  

南京大虐殺の犠牲者の冥福と世界平和を祈って、子どもたちのキャンドル

  12月14日は南京大虐殺国際学術検討会議が行われました。私たちも意見発表しました。

    

私たちと親交のある、歩平先生や高暁燕女士も参加されていました。

 

 

 

2006年10月8日 

松代大本営地下壕訪問

 

松代大本営象山地下壕入口。             中に入るとトラックが通れるくらいの広い地下壕でした。

「松代大本営地下壕を訪れて」  毒ガス島歴史研究所 山内正之

この度、沖縄平和ネットワーク首都圏の会主催の「フィールドワーク・長野で学ぶ戦争」に参加させてもらい、

たくさんのことを学ぶことができました。

日本が無条件降伏して61年経過したが日本の行った侵略戦争の真実は日本国民に十分、明らかにされていない。

松代大本営の地下壕も、大久野島の毒ガスもその中に含まれる。

戦艦大和や神風特攻隊のことは映画になったりして、広く知られ、騒がれる。

日本では戦争を美化し、間違った愛国心を育てる方向に向かいそうな戦争の出来事はもてはやされる。

松代大本営のことも戦後、長い間、封印されて来た。日本政府も天皇と一部の人だけが助かろうとした松代大本営のことは、

あまり国民に知らせたくなかったのだろう。広く人々に知られるようになったのは1985年、長野の高校生の松代大本営の

永久保存の訴えからで、それまでは研究者など一部の人が知っているだけだった。現在は松代大本営の保存をすすめる会の人

たちの活動の成果などで毎年10万人を越える人たちが平和学習のために、松代大本営の地下壕を見学に来るという。

それでも日本国民全体からすれば松代大本営のことを知っている人の割合はまだまだ少ないと思う。

まして松代大本営が沖縄の人たちの命を犠牲にして造築工事が進められたこと、

工事作業には拉致にも等しい方法で日本に連れて来られた多くの朝鮮人が厳しい民族差別と劣悪な労働条件の

もとで強制労働させられたことまで知っている人は日本人のごく一部であろう。

 是非一度、松代大本営地下壕を訪問して見てください。

2006年7月10日 最新情報  山内正之

2006年7月9日のハチ干潟調査に参加しました。

50年ぶりにハチの干潟に行きました。
竹原で育った私は、小学生の頃、度々、この干潟で
貝堀をした思い出があります。50年ぶりにハチの干潟を
訪れ、その頃のことを思い出しました。

(1)ハチの干潟に通じるここの切り抜きは横島のトンネルがあった所です。
   江戸時代、ここは賀茂川の流れを変えるために作られたトンネルでした。
   トンネルが壊れて切り抜きになりました。 
   約20年前までは、ここの砂地で砂に隠れながら移動する
   カレイの稚魚を橋の上から見ることができました。
   

(2)このあたり一帯で貝がたくさん取れたことが思い出されました。

   
(3)ハチ岩の回りの干潟には貴重な海洋生物が多数生息しています。
その貴重な宝を守り子々孫々に伝えていくことが私たち今、生きている者の義務です。

 

みんなの力でハチ干潟の藻場造成計画(実は浚渫土・産業廃棄物の投棄)を阻止しましょう。

 

2005年12月31日 最新情報  毒ガス島歴史研究所  山内正之

(1)12月27日竹原沖(ハチ岩〜明神)への藻場造成計画に反対し

竹原市長と竹原市議会議長に計画に同意しないように要請文を出しました。

三つの環境保護団体(竹原市海砂採集全面禁止同盟会・カブトガニが住みやすい環境を守る会・

毒ガス島歴史研究所)と広島大学の大塚教授・忠海高校の先生と生徒および卒業生が参加し

今、蘇りつつある貴重な瀬戸内海の自然を破壊するようなことはしないように訴えました。

        

せっかく、自然が再生しつつあるのに、そこに浚渫土(ヘドロ)を投棄するなんて許されないことです。

浚渫土を投棄する場所を探している業者と一部漁協の組合員の策動です。本当に海を大切にする漁業者には

絶対容認できないことです。みんなで反対の声を揚げこのような暴挙にストップをかけましょう。

(2)   12月28日北九州市の苅田港の毒ガス処理施設を見てきました。

来年、開港予定の新北九州空港の近くにありました。

苅田港では昨年より港内で発見された毒ガス弾595発を回収し爆破・燃焼処理したそうです。

その処理施設が下の写真です。神戸製鋼所苅田処理場と銘打ってありました。

現在は毒ガス処理を中断しているそうです。

苅田港内にはまだ予定より多く発見された毒ガス弾94発が海底に保管し処理を待っているそうです。

さらに苅田港沖合にはもっと未発見の遺棄毒ガスが海底に投棄されていると考えられます。

苅田港は毒ガス兵器の製造をおこなった陸軍造兵廠曽根製造所(現在、陸上自衛隊曽根訓練場)から車で約10分でした。

敗戦時たくさんの毒ガス弾が苅田港に投棄されたことが確信できました。

  

左の写真が毒ガス処理施設、。建設中の新北九州空港が近いのには驚きました。

手前の砂地の所に毒ガスの見つかっている海底の浚渫土を運んできて埋め立てているようです。

安全は確認されているのでしょうか。毒ガス処理場へ向かう道路の入り口や浚渫工事現場には

遺棄毒ガスに関する工事がおこなわれているとの表示はいっさいありませんでした。

情報が正確に公表されていない点は大久野島の砒素汚染土除去工事と似ています。

(3)  元陸軍造兵廠曽根製造所(曽根製造所)に行ってきました。

大久野島で製造された毒液を曽根製造所に運び、投下弾や迫撃砲弾など、

さまざまな兵器に毒液を填実し化学兵器を製造しました。大久野島とは密接な関係のあった工場跡です

。現在は陸上自衛隊の訓練所になっています。かなり広い敷地です。建物はかなり残っていました。

年末のためか自衛官は一人もいませんでした。(北九州市小倉南区下吉田一丁目にあります。)

   

写真の四角い建物がイペリットルイサイトの充填作業場です。奥に見える円筒形の建物が排気塔です。

建物はかなり残っています。遺跡としての価値が高いと思いますが、

自衛隊の施設なので自由に入って見学することができません。

 

最新情報 2005年9月13日  毒ガス島歴史研究所  山内正之

第4回日中友好平和学習の旅 その2

(2)遺棄毒ガス被害者、 李国強さん・王雅珍さんとの交流 

大久野島で製造した毒ガスによる被害者、李国強さんへの

支援カンパのご協力ありがとうございました。

9月4日中国黒竜江省ハルピン市のホテルで、

李国強さんと妻の王雅珍さんにお会いし、

支援カンパ金をお二人に渡しました。

お二人より、感謝の言葉が述べられるとともに、

皆様にどうぞよろしくとのことでした。

 李国強さんは比較的元気そうでした。しかし、会議の途中も、話をしている時も咳が出

たりや痰が詰まったりする様子がうかがえました。これから寒くなり冬になると咳や痰

ひどくなるそうです。持って行った薬は大切にして、冬のひどいときに飲みたいと言って

おられました。

お二人は私たちのために遠く日本から会いに来ていただいて感謝の気持ちで一杯だ、また

支援カンパをいただき大変感謝している。カンパに協力していただいた人によろしくえ

えください。とのことでした。

 

 

宿泊ホテルの前で記念写真      森崎さんがお二人にサービス(朝食にて)

 

最新情報   2005年9月9日  毒ガス島歴史研究所  山内正之

第4回日中友好平和学習の旅の報告  その1

9月3日〜6日に日程で毒ガス島歴史研究所の会員4名で中国黒竜江省ハルピンに行って来ました。

旅の目的は遺棄毒ガス被害者(李国強さん)と交流することと、

「ハルピン市社会科学院主催の「侵華日軍細菌戦・毒ガス戦国際学術会議」に参加する事でした。

帰途、台風のため、大連発広島空港行きが運行中止となりびっくりしましたが

関西空港経由で、元気に帰ってまいりました。

 (1)ハルピン市社会科学院主催の「侵華日軍細菌戦・毒ガス戦国際学術会議」に参加。

会議には中国・韓国・日本・モンゴル・中国台北・ロシアから129名の参加があり

学者・平和運動家・細菌戦被害者など様々な立場の人が集まりました。

下の写真左は全体会の写真、右の写真は遺棄毒ガス被害者、李国強さんとの記念写真です。

 

侵華日軍細菌戦・毒ガス戦国際学術会議閉会行事 

前列左から2人目が李国強さん

 (2)「侵華日軍細菌戦・毒ガス戦国際学術会議」分科会の様子。

三つの分科会に分かれて議論しました。

6か国の国から集まっての平和国際会議はハルピンで

初めてなので大きな意味がありました。

 

731部隊遺跡ボイラー室前にて

 

最新情報  2005年8月14日

2005年8月14日  高校卒業後7年ぶりの再開」でした。教え子に呼ばれて

楽しい一時を過ごしました。

1998年三原東高校卒業2年2組同窓会(三原市内にて)

元教師にとって教え子に会えるのは

何よりの喜びです。2年2組の皆さん本当にありがとう。

今度、ぜひ大久野島(毒ガス島)に来てください。

 

これからの皆さんの幸せな人生を確信しました。

また会える日を楽しみにしています。 再見!

 

 2005年7月24日 「大久野島清掃活動」

(1)  7月24日大久野島の清掃が行われました。

大久野島の東海岸に長年堆積したゴミをボランテイアで集まった人たち約200人で清掃しました。

大量のゴミで全部取り除くことはできませんでしたが、かなりな量のゴミを回収しました。

これらのゴミが瀬戸内海に漂ったら大変な環境汚染です。

毒ガス島歴史研究所のメンバーも7人参加し、頑張ってゴミ回収作業を行いました。

             

砂浜に集められた大量のゴミ。        

 

集めたゴミは船で運び処理されました。

 

(2)   毒ガス島歴史研究所の会報「記録にない島」10号が完成しました。

希望者に700円で(送料別)頒布します。

 

 

               

音楽CD「大久野島の歌」を作成しました。

大久野島の歴史を広く伝えるために造りました。

1番では大久野島で毒ガス製造にかかわり、毒ガス傷害を受けた

被害者の気持ちを歌っています。

また3番では今でも続く中国遺棄毒ガス被害者のことを

歌っています。

CDは完売のため現在は販売はしていません。                                                       

 

日中韓三国共同編集

近現代史入門

ぜひ読んでください。i 

 

毒ガス島歴史研究所の総会と記念講演盛況のうちに終了。

岡田黎子さんの講演が6月4日、竹原人権センターで行われました。

岡田さんは、国民は今の憲法があるからこそ、戦争に行かされることもなく

国民の人権が 守られている。私達国民の生活を守るために、

今、起こっている、憲法改悪、第九条改悪、教育基本法改悪 の動きを

なんとしても私達の力で阻止しなければならないと訴えられました。

私達も反対の声を上げ、行動することを誓いました。

 

毒ガス島歴史研究所主催

日時:2005年6月4日(土)11時00分〜12時30分

場所:竹原市人権センター

       竹原市中央5丁目5−17(TEL:0846−22−3726)

    講師岡田 黎子 さん

 演題:「今,思うこと」

 岡田黎子さんは動員学徒として大久野島に動員された体験を子どもたちに

語り続けることによって平和の尊さを訴えて来られました。

また教員の仕事をしながら、戦後一貫して平和運動に取り組まれるとともに,

「大久野島・動員学徒の語り」という本も出版され,日本のみならず、

世界へ大久野島の戦争加害の体験を伝えて来られました。

日本が再び戦争をする国に向かおうとする危険性が増している今、

岡田黎子さんの思いに耳を傾けて下さい。きっと,

未来への指針が得られると思います。

 

 岡田黎子さんが書かれた「大久野島動員学徒の語り」

瀬戸内海の環境を守る取り組み

              

4月23日私達は忠海漁協前でヘドロ投棄反対の意思表示

をしました。忠海と大久野島の間の海に業者が大量の

浚渫土やヘドロを投棄するという情報が入ったからです。

漁協でこの問題が話されると聞き、反対の声を上げ漁協の

組合員に訴えました。当面は、この計画は否決されたようです。

しかしまたいつ計画が復活するかも知れません。自然を守るため

私達は注意深く見守る必要があります。

 

韓国平和の旅(2005年5月2日〜4日)

南北朝鮮の境界線(38度線)と韓国戦争紀念館に行きました。

(1)板門店の境界線です。

                          

 向こうの建物が北朝鮮の板門閣と呼ばれる

建物です。たくさんの人が屋上から見ているのがわかります。

丁度、北朝鮮側からもたくさんの見物人が来ていました。

珍しい光景です。

同じ民族でありながら一本の線で区分されいっさい

交流が許されないことの悲惨さが伝わってきました。

早く民族統一がなされることを強く思いました。

 

(2)南北の警備の兵隊です。

 2003年の8月に板門店に行った時は

アメリカ兵の姿がよく見られましたが

今回はほとんどアメリカ兵の姿は見られませんでした。

みんなイラク戦争へ派遣されているのでしょうか。

 

 

(3)北朝鮮の世界一高い国旗掲揚台です。

     旗のところにある村は北朝鮮の村です。

  国境線から約1800mのところにあります。

 この村は宣伝のための村で民間人は住んでいないそうです。

 

詳しくは平和学習の旅のリンク

 

2005年3月27日「大久野島の歌」をCDにします。

3月27日その録音をしました。子供と

大人約20名で歌いました。

 

 

北部海岸工事(2005年3月26日撮影)

土壌調査はおこなわれたのでしょうか。

情報は公開されていません。

 

2005年2月24日  環境省の職員と遺棄毒ガスの専門家が私たちが

保管していた赤筒(毒ガス)の鑑定にきました。

写真は鑑定している様子です。詳しい検査は東京に持ち帰って

するということで、持ち帰りました。

大久野島の周辺の海の海底の掃海を要望しました。

 

2005年  2月5日6日の「平和と人権fromたけはら」 大盛況

映画会「にがい涙の大地」から」と海南友子監督の講演ならびに

日中友好平和学習の旅の報告会と写真展示

大久野島の現在と課題の写真。・報告パネル展は

大成功のうちに終えることができました。

海南友子監督の話に参加者は感動。

中国中央TVが日本の平和運動の取材として今回の

「平和と人権fromたけはら」を取材しました。

展示会場の様子(北坦村の写真展示)

 

 

 (5)2004年12月27日28日サンデー毎日が取材に来ました。

12月27日28日に大久野島を取材し、

証言や赤筒の置かれていた防空壕などを取材しました。

   

     給水船を取材               防空壕跡の取材

(6)2004年12月3日テレビ朝日が取材に来ました。
テレビ朝日のデイレクターとレポーターが大久野島の取材に来ました。
戦争遺跡と現在の国民休暇村の島の様子を対比させて紹介する番組を
制作したいのだそうです。取材協力はしました。

2005年1月10日(月 )午前8時50分頃のスーパーモ-ングで約15分
放送する予定だそうです。レポーターは井口成人さんです。