活動内容紹介

 

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      大久野島 戦争遺跡の案内     

 

大久野島の歴史の発掘・保存

大久野島の戦争遺跡の案内

大久野島の環境学習の案内

地域の平和・環境問題への取り組み 

 

2003年 6月14日(土)記念行事を開催しました

「語り伝えよう 大久野島の 歴史 〜よみがえれ  エデン(始原)の海 〜 」

 

のもとに学習会を行いました。 講師: 砂利採取全面禁止同盟会:吉田徳成さん

 

 カブトガニの住みやすい環境を守る会:清瀬祥三さんの説明で有意義な学習ができました。

                                                   

2003年 8月30日広島(シャレオ広場)にて

大久野島紹介展示会とビデオ上映Iをおこないました。

     

   会場にて編集者                 ビデオに見入る観客                                                                                                                                  

 

 

遺棄毒ガス弾の徹底調査と完全廃棄を求めて要請行動

 @毒ガス(中赤筒)の発見

 環境庁は1998年から、大久野島のヒ素による土壌汚染が表面化したことを受けて、島内の高い濃度のヒ素が検出された3カ所のヒ素汚染土壌を除去し洗浄する工事をおこなってきた。その最中の1999年3月、国民宿舎すぐ前の広場のところにある防空壕跡で9個の毒ガス弾(大赤筒)が発見された。毒ガスが見つかった防空壕は観光客が利用する国民宿舎から200mくらいのところにあり、誰でも近づけるところだった。発見された9個の毒ガスには内容物がぎっしり詰まっていた。おそらくヒ素が詰まっていると思われるが、環境庁は9個の内容物を明確にしないままどこかに持っていってしまった。ヒ素汚染土壌の除去工事は続けられ、6月になり環境庁はヒ素土壌汚染工事終了を意味する、大久野島の安全宣言とも思えるようなパンフレットを作成し、大久野島を訪れる人に安全性をPRし始めた。

 そのわずか1ヶ月後の8月7日、毒ガス島歴史研究所の会員が北部の海岸で3個の毒ガス(中 赤筒)が発見した。このことは、大変な驚きであり、それは、環境庁のPRしている安全というものが、いかに、いいかげんなもので、安全対策が杜撰なものであることを物語っていた。 発見した場所は、誰でも立ち入ることのできる海岸で、釣り人や海水浴客がよく訪れる場所であり。もし、子どもたちが、高濃度のヒ素を含んだ中赤筒を発見し知らないうちに残留物のヒ素に触れていたら危険な状況だった。私たちは、大久野島の安全を確保するためにも大久野島の遺棄毒ガス弾の問題を行政に訴えることにした。

 毒ガス(中赤筒)に間違いないことが確認され、マスコミも、このことを取り上げた。ちょうどこのころ、インターネットで大久野島に毒ガスの戦後処理の様子がオーストラリアの戦争記録写真から島内への毒ガス弾埋設処理の様子を知ることができるようになり、大久野島に埋設された毒ガスの問題がクロ−ズアップされた。

A発見した遺棄毒ガス弾(中赤筒)の分析

人によっては、発疹などのアレルギ−などの中毒症状がでることも考えられることも解かった。

B竹原市・広島県・国への要請

私たちは毒ガス島歴史研究所は大久野島の安全と環境汚染の防止のために、大久野島に戦後埋設された65万本と言われる毒ガス弾(赤筒)の実態調査と完全撤去を行政機関にはたらきかけた。1999年11月8日に竹原市へ11月11日に広島県へ12月7日に環境庁と内閣内政審議室へ会員が出向き直接、要望書を提出し、遺棄毒ガス弾の実態調査と完全撤去の要請を行った。

【環境庁の回答】

 ・環境庁としては大久野島の公園利用者に対する安全配慮は常時行っている。これからも島内のパトロ−ルなども定期的に行う予      定である。

 ・もし毒ガスが発見されたり、砒素などによる環境汚染などの問題がでれば、その都度対応して行くつもりだ。

 ・環境庁の役割は大久野島の環境保全であり、島内に埋設されている遺棄毒ガス(赤筒)についてはわれわれの管轄する問題ではないのでコメントできない。

・戦後埋設された大久野島の遺棄化学兵器の取扱はどこの管轄かもよくわからなし、われわれの関与する問題ではない、と答えるのみで具体的な回答は得られなかった。

日本政府の国内の遺棄毒ガス弾処理に対する疑問

@戦後の毒ガス処理で大久野島に約65万個の毒ガス(赤筒)が埋設されていることを国も認めており、戦後、何度も毒ガス弾が発見されており被害もでているにもかかわらず。なぜ、島内の全ての防空壕の内部を徹底的に調査し、島内から毒ガスを完全に除去しないのか。

A毒ガス工場跡など危険が予想される場所をなぜ徹底調査しないのか。

 1996年、環境庁は59地点365サンプルの土壌調査をおこなったということだが、調査すれば高濃度の砒素が検出される可能性のある、元毒ガス工場の跡など、明らかに毒性がでてきそうな所が十分調査されていない。もっと、当時、働いていた人と話し合った上,危険な場所を徹底的に調査をするべきではないか。

Bヒ素以外の環境汚染の心配はないのか、砒素以外の毒性調査をなぜおこなわないのか。行っているとすればなぜ公表しないのか。他の毒物によって大久野島が汚染されている可能性もあり、砒素汚染調査と合わせて他の毒性検査もおこなうべきではないか。 

C大久野島は心配ないと言いながら、国は戦後一度も、安全宣言を出していない。国が大久野島の安全の根拠としているのは、戦後の処理において、毒ガス弾を埋設した防空壕の中に、さらし粉と海水を注いで毒ガスを中和するという方法で島内の毒ガスは薬品処理済みとしているところにある。しかし、今、問題になっているのは、毒ガスの効力だけではなく、毒ガスの原料である砒素による害であり遺棄毒ガス弾のもたらす環境汚染と人体への影響であり、決して安全とは言えない。

D中国の遺棄毒ガス弾は処理するのになぜ大久野島の遺棄毒ガス弾は処理しないのか。

化学兵器禁止条約の発効で日本政府は国外に遺棄した毒ガス兵器の処理を義務づけられている。しかし、国内に遺棄した分については1985年以前に遺棄されたものであれば処理義務が生じないことが条約に規定してある。国はこの規定や、1973年以降、人身事故の報告がないことを理由に「国内分の再調査や処理は考えていない。問題が起きれば個別に対応する」(官房総務課)と話すのみだ。これは 国民の安全を第一に考えない国の環境行政の現れである。大久野島に約65万本埋没されている赤筒と同じ赤筒も中国では処理される予定である。外国では処理すべきものが、国内ではなぜ、処理されなくて良いのか大きな疑問である。中国での処理は2000年9月より始まっている。

E環境庁は現在、全国で進めている、エコアイランド構想に基づいて、大久野島を公園化し戦争遺跡の保存よりも、平和学習よりも、遊びを主体としたレジャ−ランドの色彩を強め、島内に大量に埋設ている毒ガス弾を放置して、防空壕跡は石垣で塞ぎ、平和学習の場としての大切な戦争遺跡を破壊していると言えるのではないか。

 

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