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初めての中国平和学習の旅 1983年8月17日〜8月26日 第2回広教組訪中団に参加し 上海〜南京〜北京の平和学習の旅をしました。 日中平和友好条約(1978年)が締結されて5年後のことでした 中国の町並では人民服をきている人や簡素な服装の人々で溢れていました。 夜、薄暗い街路を、ライトを点けず、補助ランプだけで走るバスに 驚かされました。人民公社もありました。 雨花台
雨花台は 梁の時代の名僧雲光が経文を唱えたら花が雨のように降った という言い伝えからつけられた地名である。もともと、景勝地で あったが、日中戦争時代は日本軍が中国人を虐殺した場となり 戦後の国共内戦では国民党の処刑場になった。 革命に命をささげた勇士を偲び水に入れると赤くなるという雨花石が お土産として売られている。 記念像の人民の目は虐殺を二度と許してはいけないと 怒りに燃えた目で訪れる人に訴えている。 広教組訪中団日程 1983年8月17日(水)〜26日(金)
8月17日(水)
大阪空港発17:15
8月18日(木) 上海発13:24 黄浦公園 玉仏禅寺 虹口公園 魯迅旧居 蘇州着14:50 刺繍研究所 留園 寒山寺 (蘇州飯店泊) 8月19日(金)
蘇州発14:36
長青人民公社
南京2泊(丁山賓館)
8月20日(土) 南京 長江大橋 中山陵 雨花台 中華門 教育交流会 8月21日(日) 南京発 9:56 玄武湖公園 杭州着18:20 8月22日(月) 杭州発 8:20 蘭亭書店 紹興酒工場 青花焼き工場 紹興着10:00 杭州着18:20 魯迅生家 杭州2泊(花港飯店) 8月23日(火) 杭州発18:40 西湖 花港公園 霊隠寺 六和塔 北京着20:00 柳浪聞鶯公園 8月24日(水) 北京 万里の長城 明の十三陵 民族舞劇 北京2泊(前門飯店) 8月25日(木) 北京 北京第五中学との交流会 天壇公園 北海公園 天安門広場 故宮博物館 王府井大街 8月26日(金) 北京発8:30 上海発11:35 大阪着14:35
中華門 1937年12月13日日本軍は南京を陥落させ大虐殺を始めた。 この中華門からも多数の日本軍が侵入し虐殺を行った。 中華門は南京にある13の門の中でも最も威風堂々としており、4重の城門からなる。 3つの空間は甕城となっており敵を中におびきいれ、退路を遮断し 城門の蔵兵洞に忍ばせていた兵士で敵を殲滅した城である。 中華門の蔵兵洞には3000人の兵が隠れることができたそうだ。
《 雨花台と中華門一帯での虐殺》・・「証言・南京大虐殺」 南京市文化資料研究会編 より抜粋 日本軍は12月13日中華門から入場しまず中華門一帯でこの世のものとも 思えぬほど悲惨な大虐殺を行った。・・・日本軍の谷寿夫部隊は南京を攻略し まず、中華門に入城するや直ちに虐殺を行い、二日間のうちに中華門の内外は いたるところ死体だらけとなり見るも無惨なものでした。・・・ 雨花台周辺や中華門一帯で日本侵略軍によって殺害された者の数は万を数えた。
私たちが訪れた1983年には、南京大虐殺の記録を集めた 侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館はまだ建設されていなかった。 建設されたのは1985年である。 私たちの旅行中、教育交流会などでも、南京大虐殺のことはあまり中国の人たちの口からは出てこなかった。 日中友好促進のためにも、過去は過去として胸のうちにしまっておこうという気持ちだだったのかもしれない。 大虐殺の現場もつぶさに見ることはできなかった。中国の人たちの重たいものが存在しているのを感じた。
北京での驚き 今回の旅で、大いに感動したのは、故宮(紫禁城)を訪れたときだった。 中国の偉大な歴史と巨大さを実感できた。 中国を考えるにはぜひ、訪れたいところである。 日本が、過去の歴史において、いかに中国から恩恵を受けてきたか、 日本がおこなった中国侵略戦争がいかに誤ったものであったかを はっきりと認識させてくれた。
故宮 紫禁城(明・清代の宮殿)
天安門広場にて(1983年8月25日) 天安門は紫禁城の外城壁の正門です。 紫禁城の入口 旅行団の報告書 |