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平和学習の旅へジャンプ 「朝鮮民主主義人民共和国訪問記」(2016年10月5日〜12日) 毒ガス島歴史研究所 山内正之
1:はじめに 「日朝友好広島県民の会」第5次訪朝団に参加し、たくさんのことを学んできました。私は朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国と記します。)を訪問するのは二度目でした。2009年9月に今回と同じく日朝友好広島県民の会主催の訪朝団に参加しました。前回の訪問は「百聞は一見にしかず」という気持ちが強かったのですが、今回は、安倍政権が共和国に対し、間違った外交政策を強めている今こそ、多くの日本国民が共和国を訪問し、友好交流を深めることが大切だという気持ちが強くあり、連れ合いを誘って夫婦で参加しました。 七年ぶりに訪問した共和国は明らかに変わっていました。前回の訪問から比べると、ずいぶん経済発展を遂げているなと感じました。平壌市内は落ち着いたきれいな街ですが、高層ビルが増え、車の数や種類も増えていました。共和国の人達の服装もカラフルでお洒落になったような気がしました。日本政府をはじめ、経済制裁などによって、共和国の経済発展を阻害する米国に従属する国々の圧力にも負けず、地道に努力し、経済発展を遂げている姿に感心しました。案内をしてくださった、朝鮮対外文化連絡協会の方が、何年か後には共和国は立派な経済力を持った国に成長しますと力強く言われたのは印象的でした。 私たちは過去の日本が犯した侵略戦争による加害の歴史から真摯に学び、その反省のうえに立って隣国(中国・韓国・共和国など)と仲良くしていかなくてはなりません。日本政府は共和国に対し、経済制裁などによって対立するのではなく、隣国として協力し合い、共に、経済発展していくべきであり、現在の安倍政権の外交政策の間違いを改めて実感した旅でした。 2:北京経由で平壌へ 10月5日(水)広島空港を14時40分発の中国国際航空154便(大連空港経由)で北京空港へ、北京空港18時10分着。共和国と日本との国交が結ばれていたら、中国まで飛んで共和国に行く必要は無いのに、とんだ回り道をしなければならない。日本から共和国に直行すれば、時間的にも、経済的にも楽なのにと思います。北京の21世紀飯店に一泊し、翌日、10月 6日(木)14時頃、北京空港から高麗航空152便で平壌空港へ出発、平壌空港に16時30頃到着しました。
3:共和国での一日目(10月7日) 共和国に来て初めての朝を迎え、共和国の生活を身近に感じたいと思い、一緒に訪朝した在日朝鮮人の方と一緒に、朝の散歩をしました。平壌ホテルから大同江沿いに「大同門」(6世紀中葉に建てられた平壌城の門)までの往復を歩きました。約50分の散歩でしたが、共和国の人たちの生活の様子を身近に感じることができた貴重な時間となりました。忙しく、歩いて職場や学校に向かうたくさんの人たちと出会い、バス停で行列を作ってバスを待っている人たちにも出会いました。通りに面したあちこちのビルの高い場所で、朝早くから作業をしている人たちもいました。日本のラッシュアワーのような混雑はありませんが、日本と同じように、朝のあわただしい雰囲気の出勤風景でした。また、大同江の川沿いで、ゆっくりと魚釣をしたり、十数人が集まって音楽に合わせて朝の健康体操をたりしている高齢者の方に出会いました。そのほか、散歩する人、親子で体操する人など、どこの国でも見られる朝の風景を見ることができました。 ホテルで朝食を取った後、最初に訪問したのが祖国解放戦争勝利記念館でした。ここには朝鮮戦争で共和国がアメリカを相手に戦った資料が展示され、アメリカが朝鮮戦争で毒ガス兵器や細菌兵器を使用したことなどの資料や歴史が展示されています。祖国解放戦争勝利記念館は、2013年にリニューアルされたそうで、前回、訪問した時と比べると記念館の規模が大きくなり、展示資料も増え、きれいな記念館になっていました。歴史の真実を後世に伝えようとする意欲が感じられました。残念ながら日本政府の経済制裁の影響で、私たちが共和国で手に入れた物を日本に持って帰ろうとすると、日本の空港で没収される可能性もあるとのことでしたが、記念館を紹介した写真集と「朝鮮戦争はなぜ起こったか」というDVDを購入しました。幸い、没収されることもなく持って帰ることができました。 その後、金杯スポーツマン総合食品工場を訪問しました。この工場は、スポーツマンの栄養食品に対する研究と生産を専門としている工場で、数百を数える食品や飲料を生産しているとのことでした。朝鮮の天然薬材で製造した機能性飲料は香ばしい味と高い栄養価によってスポーツマンの間で金杯飲料と親しまれているそうです。機械化された生産ラインで働いている従業員の姿や従業員用の休養施設などを見学しました。午後は大同江の近くにある金成柱小学校を訪問しました。共和国では午前中は一般教科の授業、午後はスポーツ、音楽、芸術、パソコン実習など、課外授業が行われています。卓球の練習、パソコン実習、ダンスのレッスンなど課外授業を参観させてもらいました。教科学習だけでなく、生徒の希望に合わせた課外授業にも力を入れた共和国の教育は素晴らしいと思いました。また、共和国の教育制度は保育所から大学まで無料で行われています。経済格差によって子どもが受ける教育に不平等が生じている日本と比べると大きな違いです。この学校の庭には金日成主席が彰徳学校時代の銅像が立っていました。 次に平壌を流れる大同江の中州に建設され、昨年10月に完成したばかりの科学技術殿堂を訪問しました。2016年1月1日に竣工式が行われたそうです。共和国の誇る科学技術の殿堂で、誰でも訪問でき、学ぶことができるそうです。この殿堂は様々な利用者たちの要望に応えられるように設備が整備され、子どもから大人まで年齢に応じて楽しみ、学習できるような工夫もされているそうです。この施設は共和国の科学技術普及のための中心基地の役割も果たすそうで、日本でも見られない立派な設備でした。小学生から大人まで、見学に来た人や、設備を利用しに来た人で溢れていました。 この日の夕食は対文協の歓迎宴に招待され、美味しい料理をご馳走になりました。食事をしながらの歓談では孫哲秀(ソン・チョルス)日本局長より、核問題、脱北問題など、共和国の立場からの意見をいろいろ聞かせてもらいました。局長の話の中身はもっともな話で、私が納得できるものでした。日本国民は日本が行った加害の歴史をしっかり学んで、経済制裁や朝鮮学校に対するいじめなど、間違った日本政府の対応を国民として、正して欲しいと話されました。自分自身の力不足を反省させられた一瞬でした。私が研究している毒ガス問題については、局長からはアメリカが南朝鮮に毒ガスを持ち込み、共和国の攻撃に使用しようとしていること、アメリカは朝鮮戦争の時に化学兵器を使用したという話がありました。 4:共和国での二日目(10月8日) 午前中、平壌(ピョンヤン)中心部から車で30分の所にある将(チャン)川(チョン)野菜専門協同農場に見学に行きました。模範的な野菜専門の共同農場でした。託児所・幼稚園・小・中学校を始め研究所や診療所などが設備された農場でした。作業員の住宅には個人が自由に使える菜園があり野菜が植えてありました。実際に住宅の内部も見せてもらいました。農場の温室の中に入るとキュウリがたくさん育っていました。キュウリを何本かいただき試食してみました。なかなかおいしかったです。また、有機農業にも力を入れているとのことで、「農業科学技術普及室」などで研究を続けているとのことでした。この農場では「圃田(ほでん)担当責任制」が導入されてからは農業従事者たちのやる気を引き出し、増産傾向にあるとのこと。圃田担当責任制とは、田畑や温室内で場所を区切り、個人や2〜3人の家族単位へと土地の担当を細分化し、農業従事者の頑張りに応じて取り分を分配する制度です。余った作物は売ることもできるそうです。この農場は模範農場ですがこのような農業経営が共和国全土へと広がって行けば、食糧増産も期待できると思いました。その後、朝鮮対外文化連絡協会を表敬訪問しました。 午後は開城(ケソン)に向かって出発。南北国境線へ向って約3時間、車で移動しました。前回来た時と比べると道路の状態は良くなっていました。途中、道路を跨いだ休憩所に寄りました。ヨーロッパから来たと思われる一団が大型バス2台で休憩所にやってきました。今回の共和国の旅では、あちこちでヨーロッパからの訪問客に多く出会いました。共和国がヨーロッパからの訪問客を積極的に受け入れているのだと思いました。少し、薄暗くなりかけた頃に開城に到着しました。すぐに「王建王陵」を見学に行きました。朝鮮最初の統一国家高麗の太祖・王建の墓で933年に造られたそうです。現在の墓は1994年に再建されたもので、2013年に「開城の歴史的建造物と遺跡」としてユネスコの世界文化遺産に指定されました。朝鮮の歴史を感じさせる静かで落ち着いた雰囲気の遺跡でした。 この日は開城(ケソン)民俗旅館に宿泊しました。朝鮮式の平屋住宅でできている民俗旅館で、朝鮮封建王朝時代の民家を改築し、1989年に旅館としてオープンしたそうです。19の棟からなる旅館は内部の施設やサービス施設がすべて朝鮮風に施されているそうで、私たちが宿泊する部屋にも古い朝鮮の家具が置かれ、蚊帳が吊られていました。10月なのに蚊帳?と思いましたが、蚊に対する用心が必要とのことでした。旅館の庭で焼肉料理を食べた後、旧い朝鮮式の部屋で一晩の宿泊を体験することができました。 5:共和国での三日目(10月9日) 開城民俗旅館で朝食を済ませて出発、板門店に向かいました。板門店に向かう途中、開城の古い観光地で、ユネスコ世界遺産に登録されている、「善竹橋」と「表忠碑」を見学しました。「善竹橋」は1392年高麗末期、高麗王朝の忠臣であった鄭夢周(チョン・モンジュ、てい むしゅう、)が李成桂への協力を拒み、暗殺された場所だと言われています。当初は「善之橋」と呼ばれていたそうですが、鄭夢周の消えない血痕の跡から、竹が生えたという話が伝わることから「善竹橋」と改称されるようになったとの事です。「表忠碑」は道路を挟んで向かい側にあります。忠臣、鄭夢周のように李王朝に尽くせ、という意味で造られた石碑だそうです。亀のように万年も残されるようにと石碑は亀の彫刻の背に載せられていました。この2つを含め、12の開城の歴史的建造物と遺跡がユネスコの世界文化遺産に指定されているそうです。開城は南北境界線にあるので、自分たちの領土になるとの判断で、米国が朝鮮戦争の時、爆撃空襲をしなかったので古い建造物が現在でもたくさん残っているそうです。私は板門店に韓国側から二度、共和国側から一度訪れたことがあり、今回で、4度目の訪問です。韓国側からの2回の訪問ではたくさんの規制がありました。写真も自由には撮れませんでした。板門店に行く行程で、パスポートのチェックを受けたり、生命を失っても自己責任という誓約書に署名させられたたり、防弾装備のバスに乗り替えさせられたり、共和国の方に向かって手を振ってはいけない、挨拶してはいけないなどの見学態度の注意やTシャツ、半ズボン、ミニスカートはダメなど、服装の注意までされ、徹底的に、共和国は危険な国だと思わせる宣伝がおこなわれます。私自身、残念なことに、その策略に知らぬうちにはまってしまっていたようで、板門店で韓国側から共和国の方を見た時は、本当に、共和国の兵士に狙われるのではないかという気持がどこかにあった記憶があります。2009年に共和国の側から板門店を訪問して、初めて、その大嘘に気付くことができました。まさに「百聞は一見にしかず」です。共和国側からの訪問では見学態度や服装の注意はありませんし、写真やビデオも自由に撮ることができます。 今回、板門店を訪れて、変わっていたことは共和国側からは境界線の青い建物(連合軍管理)に入れなくなっていました。米国軍がカギをかけて、共和国側からは入れなくしたそうです。そして、韓国側からの警備の兵士の姿が見られず、韓国側の建物に監視用と思われるカメラが増えているように思いました。板門店から開城民俗旅館に帰り、昼食、飯床器(パンサンギ)という開城の宮廷料理を食べました。飯と汁を除いた11個の黄銅製の飯床器にいろんな朝鮮の惣菜料理が盛られていました。美味しくいただきました。午後は霊通寺を見学しました。朝鮮天台宗の聖地として有名な寺院で、大変きれいな寺でした。霊通寺は、開城の街から更に12キロ行ったところにあります。高麗時代の10世紀初に建築された霊通寺は16世紀に焼失しましたが、1997年日本の調査団が遺跡調査に入り、碑文などから高麗天台宗の開祖・大覚国師義天の墳墓の地と確定し、日・朝・韓の人々が協力して2005年に復興したお寺だそうです。朝鮮天台宗は、比叡山延暦寺を総本山とする日本の天台宗にも大きな影響を与えており、霊通寺は、日本の天台宗にとっても「聖地」となっているそうです。聞くところによると、2015年11月には日本から約60名の天台宗、臨済宗、真言宗の僧侶が霊通寺に行って日朝合同法要を行ったとのことです。これからも合同法要は行われるそうで、日朝友好交流の懸け橋となって欲しいものです。 霊通寺を見学したのち平壌へ帰りました。帰る途中、朝鮮戦争で米軍が行った虐殺の事実を展示した信川博物館を訪問したかったのですが、時間の都合で寄ることができませんでした。七年前の信川博物館より規模の大きい博物館に建て直されたとのことだったので是非行きたかったのですが残念でした。またの機会に訪れたいです。平壌へ帰り、夕食はホテルの近くのレストランで食事、対文協の李河進さんからいろいろ話を聞かせてもらいました。李河進さんは日本には4度来られているとのこと。1990年には広島にも行って「原爆を許すまじ」の歌を唄ったことを懐かしく語られました。現在は日本政府が入国を拒否しているので、日本には入国できないとのことです。李河進さんは、共和国はもともと、核兵器の所有には反対していた。ところが、アメリカが南朝鮮に核兵器やミサイルを持ち込み、共和国を攻撃する体制を作ったため、共和国も対抗上、核兵器を持たざるを得なくなった。共和国から攻撃をすることはないがアメリカの動きによっては最悪の事態も起こりうる。その場合、日本に米軍基地があり、核兵器やミサイルが配備されているかぎり日本を攻撃せざるを得なくなる。日本はアメリカの核の傘から離れ、米軍基地をなくさないと最悪なことになりかねないと話されました。 私はどの国も核兵器を持つことは反対ですが、日本政府の政治姿勢を正さない限り、共和国の核保有を批判するのは難しいと思いました。2016年10月27日の国連総会第一委員会の核兵器禁止条約制定決議に共和国は賛成し、核兵器禁止の意思表明をしました。しかし日本はアメリカに追従して反対しました。唯一の被爆国日本が核兵器禁止条約制定決議に反対とは話になりません。このような事態を引き起こしているのは私たち日本国民の問題に他ならないし私たちの責任であることを痛感しました。 6:共和国での四日目(10月10日) 110月10日は共和国の朝鮮労働党結成の記念日です。71年目の結成記念日で、特別記念行事があるのではないかと思いましたが、その予定はないとのことでした。結成記念日の大規模な行事は5年ごとに行われるとのこと。しかし平壌の街は旗がひらめき、祝労働党結党記念の文字があちこちに飾られていました。宿泊した平壌ホテルのロビーやレストランも国旗や7色電球などで飾り付けがしてありました。民族衣装(チマチョゴリ)を着た人も多くみられるようになり、明らかにお祝いのムードで盛り上がっていました。街を車で移動する時、あちこちで、市民の踊りの集まりを見ることができました。私たちが宿泊したホテルの前の平壌大劇場前広場でも多くの若者が踊っていました。金春実さんと一緒に踊りを見に行きました。いくつかの大学の学生が集まって開いたもので、それに多くの若者が自主的に参加する踊りの会だそうです。若者が楽しそうに踊る姿は、みんなで記念日をお祝いしようという気持ちが伝わってくる楽しい踊りでした。日本のマスコミが流す、間違った共和国の国民の姿とはまるで違っていました。 今日は共和国見学の最終日、一番忙しい日になりました。朝食後、二度目の朝の散歩に行きました。七年前、宿泊した平壌高麗ホテルまで連れて行ってもらいました。メイン道路沿いに歩いていくと、平壌駅がありました。平壌市内のメイン道路は路上を横断するのではなく、地下道を通って行き来するようになっています。多くの人たちが職場や学校へ急ぎ足で地下道を利用していました。今まで車窓からしか見ていなかった道路や地下道を歩いて、共和国の日常の生活を少しですが実感することができました。街は清掃が行き届いており、きれいな街並みを気持ち良く散歩できました。20分ほど歩くと平壌高麗ホテルに着きました。七年前のことが思い出され懐かしさと親しみを感じました。ロビー横の喫茶で美味しいコーヒーを飲んで帰りました。午前中は自然博物館と中央動物園を訪問しました。自然博物館は今年7月に完成したばかりで、隣接した中央動物園も7月に全面的にリニューアル工事が終わったばかりで、7月24日に一緒に竣工式が行われたそうです。両施設とも大勢の人で賑わっていました。家族連れ、学校から団体で来た子どもたちなどが多く見られました。延べ坪35000平方メートルに及ぶ自然博物館には3800余種に4万点余の動植物資料が剥製、模型、直観物、標本の形で展示されているそうです。中心ホールと宇宙館、古生物館、動物館、植物館、贈物館、臨時展示館、電子図書館からなっています。恐竜の実物大の骨格標本をはじめ、海や宇宙に関する展示物がありました。中央動物園も大規模な動物園で100ヘクタール余の敷地面積をもつ近代的な動物園で、数十の動物館、動物舎、動物学研究所、動物飼養管理研究所、獣医病院などからなっています。歩いて見学すると、一日では回りきれないような大きさでした。動物園のガイドさんが、高齢者もいる私たちのグループのために、優先的に園内を回る遊覧車に乗れるように見学者に頼んでくれたので、遊覧車で見学しました。個々の動物の姿をゆっくり見ることはできませんでしたが、大勢の共和国の見学者とともに動物園の雰囲気はしっかり楽しむことができました。次にチュチェ思想塔を見学しました。この塔は金日成主席が創始したチュチェ思想を象徴した塔で1982年に建立されたもので高さが170mある石の塔です。エレベターで展望台に上がると、360度、平壌市内を見渡すことができます。明らかに高層ビルが増加した平壌市街を眺望することができました。 昼食は有名な「玉流館」で美味しい冷麺とデザートのアイスクリームを食べました。午後は金日成主席が誕生し、幼年時代を過ごした万景台の生家を訪問しました。ここには主席と一家の人たちが愛用した生活用品が保存展示されています。共和国の子どもたちもたくさん訪れていましたが、ここにも外国人観光客もたくさん訪れていました。その後、平壌サーカス劇場に行きました。平壌サーカス劇場は延べ坪54000u、観覧席が3,500の大きな劇場です。一般サーカス、水中ショー、氷上ショー、動物ショーができるように設備が整っています。ここで演技している国立サーカス団はモンテカルロ国際サーカス・フェスティバルなど世界各国の、サーカス・フェスティバルで多くの賞とメダルを獲得しています。前回訪問した時もこの劇場で見学しましたが、今回の方が演技の内容も高度化し、迫力があったように思いました。 7:旅を終えて思うこと 私が二回目の共和国訪問をして、初めて訪問した時と比べて違うと思った点は、前回は「百聞は一見にしかず」という意識と共和国に対する自分自身の無知から、見学していても気持ちに余裕がなかったように思いますが、今回は少し、気持ちの余裕を持って共和国の姿を見ることができたと思いました。前よりは共和国の人を身近に感じることができ、自然な国民の姿に接することができたように思います。二回の訪問で共和国が解ったとはとても言えないとは思いますが、前回よりは自然に朝鮮民主主義人民共和国という国を見ることができ、その良さを感じることができたのが最大の成果だと思います。 日本政府の共和国敵視政策、それに加担するマスコミの真実を伝えない誤った報道で、日本の国民の意識にはとんでもない共和国の間違ったイメージと間違った国民像が注入されています。それは共和国への差別意識へと繋がっているのではないかと思います。この現状はなんとしても打破しなければなりません。間違った意識を払拭するには共和国を訪問し、真実の姿を見ることが一番ですが、訪問してきた私たちが、共和国で見てきたこと聞いてきたことをできるだけ伝えることも大切だと思います。そして、一日も早く日本政府に共和国への経済制裁を辞めさせ、日朝平壌宣言を尊重し、対話により共和国との外交を進めるよう訴えなければならないと思いました。
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